ガラガラポン

<西新宿~飯田橋>世の中のおやっ?とを考察⇒ガラガラポン。

絵とラーメンハゲとアイゼン(キューレーションとかその辺)

デザインフェスタ58お疲れ様でした。

反省ってのはあまりしない人なのですが、気づきがあったのでメモ。

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若い新進気鋭の18歳くらいの絵描きさん(独身・フサフサ)から買いたい。

応援したい。というイメージでお金を払う。

これ人情。

特に絵を家に持ち帰るという慣例がいまだ定着していない日本では仕方がないところ。

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他方わたくしめはその18歳くらいの延長線上はるかなる先にある「なにか」ということで、いまだ歯を食いしばり奥さんに画材を捨てろと追い詰められながら「それでも倒れない」という不屈の精神、ロックな感じで(実際はゆらゆらしながら)とにかく立って絵をつくっている48歳のおっさんです。

拾い物のアイゼンさんからのしみる一言。フリーレンは漫画が好きです。

まぁ、実際デザインフェスタで絵を買うなら「素敵なものを持ち帰る」わけで立っているから/立っていれば偉いということはないのですが、描き続けないと売る作品がないのでつくるわけです。また、絵ってのはその時の気分が如実に反映されるもので、僕が今取り組んでいる平面構成ですらそうなので、とにかく絵を出していくことは重要かと。(ヒデぇ精神状態のときの絵はヒデぇ、今回はどうだったんだろう…)

 

今の絵は目を奪う意味では成立していたようだが、どうも「その後」がよろしくなかったようで。今回は売れなかった。無念。
(※過去の調子の良いときはちゃんと売れてます)

自身が立ち上げて20年以上続けているアートイベント開催サークル『ART-Pal』の看板掲げつつこぢんまりではあるけどやっていた。けど、僕自身のセルフプロデュースが甘々だったなと反省中。

で、例のラーメンハゲだ。

拾い物のラーメンハゲさん。芹沢さんて名前なのね。

絵を買うにして、やっぱり情報なのかな?と。

・新進気鋭の18歳

・かの有名な画家

・かわいいお嬢さんがつくってる絵

・サスティナブル、自然に配慮した素材を使っている(絵は関係ないかな?)

・伝統描法で現代的な絵を描いている

・価格

などなど

例えば…

  • ピカソが描いた作品
  • ピカソと同じ技量と時代性を持った画家が同じ構図で同じ内容を描いた作品

となると誰でも知っているピカソの方が価値があり秒で購入されるわけで。

ラーメンハゲとまでいかなくても、絵を買うにして、買う際の理由を補強してあげた方が買いやすくなるし買いやすくする必要があるのではないかな?とセツに思うのです。

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「若さ」に関しては48歳なのでアンチエイジングしてもダメなもんはダメなのだけれど「若いお嬢さんに売り子を頼んでしまう」というのも一つの手ですね。
実際、画家の展覧会などいくとギャラリーの売り子さんなどがいてうまいこと成立していたりします。

素材とか描法なんてのもまぁ、話せば3時間位あるのですが、割愛。としてしまっているのがまずいのかな?とも。少しは明示していたほうがいいのかなとも。早口でオタクっぽく喋るのもヤバいので塩梅が肝かな?とも。

(ところで師匠、あの描法なんて言う名前なんすかねw(今さら))

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で、今回何が一番ヤバかった?っていうと、身につけているものが絵よりも悪目立ちしていたことかも。
かっこいい色を着彩した平面構成。グッと来るかな?って持っていったのに、モンベルのフラッシュオレンジのフリースとフラッシュオレンジの靴を履いた寝不足/今にも寝そうな/たまに寝落ちてる48男性だ。ヤバい。

イケオジ48歳が渋い声で「どっすか?」っていうのと寝起きのモンベルおじさん48が「どっすか☆」っていうのじゃやっぱ「情報」の内容と質が違うなと。

情報量というよりも情報のベクトルが違うなと。
誰が作ってその本人から買ったというト・キ・メ・キをご提供する責務が有るのでは?
(シミでも取りに行くか?という話題が定期的に勃発))

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あとは可処分所得や持ち帰って飾れるかどうかとのせめぎあい問題もあると思う。

今回は特に初日に手持ちの釣り銭がなかったからテキトーな額面で出していたけれど、それがよろしくなかった気もする。

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追加を記載すると商売感覚かなぁ。マーケティングって言えばいいのか。

・デカい絵を描いているひとの小さな絵
 (有名かは不明だが、デカい絵で圧倒しておいて売っちゃう)

・大きな絵の小さい版(はがきサイズ買ってくよね)

・デカい絵は300万円で小さな絵は3000円

とか、持ち帰れるだろ?というところを模索する。

これも情報戦といえば情報戦。

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価格については伝統的に号数で単価を出している場合こういったことは起こらないのだけれど、その辺はうまく避けておいてデザインフェスタというお祭りでの価格を特別に適用して売っていくのも手かなと。

(この辺は売りやすい≒人の流れが多い日に値段を変えて売るなどして、自分の絵の価格を模索する必要もあったりします。とくにデザインフェスタでは一般の価格とは違うなにかがあるような気がします。なかなか難しい)

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まぁ、今回はこんなところ。
絵について他にも思いついたらメモしていくので気になった人はご読者登録をお願いします!(励みになります)

全く絵に関係のない思いつきも投稿していきます。
(そっちも多いと思う写真とか)

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文中の漫画については、拾い物をそのまま掲載してたので、著作権者に近しい出版社たる小学館さんにリンクしておきます☆(小学館さんいい仕事してますね~)

どちらも面白いのでぜひ!

らーめん才遊記の芹沢さん | 久部緑郎 河合 単 石神秀幸 | 【試し読みあり】 – 小学館コミック

『葬送のフリーレン』 原作:山田鐘人/ 作画:アベツカサ | 少年サンデー

 

国民皆保険制度をなくさないでもなんとかなる延命医療の「松竹梅」

anond.hatelabo.jp

この増田が面白かった。

階保険制度⇒老人の末期延命で使わなくて良いお金が使わててる。

⇒階保険制度やめちゃえ。

という論。

階保険制度は維持されるだろうし、票田たる団塊世代のご老人がおなくなりになるまで、あと10年~15年はこのままと思います。

で、その後級に舵が切られるわけで、僕らくらい、いま48歳以降の世代「失われた世代」がまた災難に遭遇するのです。(もはやそういう定め)

で、反省が世間を取り囲み結果的に制度改正が起こり「ゆとり世代」くらいで解決をしてくのです。

よかったですね。

 

で、まぁ、そうなるのだろうけど、そうなられると受難で色々僕らが大変なので、解決の片鱗を置いておきます。

階保険制度下で末期対応になった際に松竹梅を用意されるのはいかがでしょう。

焼き場で高温(骨が形にのこらない)は安いのに近い?

末期対応、つまり延命のタイミングになったら今は”家族から「できることはやってあげてください」、或いは「昇圧剤と心マは希望しないけど、他はやってください」と言われるためである。”という展開になっているようですが、ここでご提案。

  • 「できるだけのことをやる」「昇圧剤と心マは希望しないけど、他はやってください」を松にする。松は全額私費。10割負担。
    できるだけってのはそれだけリッチなことですし、医療機関にも負担が掛かる。その心意気には対価が必要です。私的な恩返しなので私費で捻出しましょう。
  • 「竹」患者さん御本人が望まれた医療レベルの末期対応。蓄えがある場合にそれに見合う割合を超えず約5~7割負担。
  • 「梅」安楽死、延命はしない。という御本人の同意を得ておき実施。0割負担。

割合に関してはテキトーですが、松の10割負担は良いと思います。なんなら提供しうるサービスとして冷凍催眠とかも含めた延命もOKと思います。

で、おそらく多くの場合は竹と梅が選ばれることになるのかと思います。

割りとSFチックですが、そういうことになりそうな予感。
(僕の予想は大体5~10年後に実現する系、無印良品のダブルジャージジャケットは20年掛かったが…)

葬儀も最近では家族葬からの樹木葬に。とか地味めな方向に進んでいるので、15年を待たず上記の松竹梅的な方向に進むのでは?と思います。

高齢者の皆さんがつらい状況になる頃には病床が足りなくなりますし、延命のために新生児や現役世代が十分な医療を受けられず国がすさんでいくのは余りよろしくない。案外5年くらいでなんとかなるのかも。

ただ、誰がこのトリガーを引くのか?といったところかと。

コロナ禍でメチャクチャになっていたタイミングに「医療費やべー」って言って舵を切ってしまうのがベターだったのですが、それは起こっていないようなので、ゆったり過ごすとします。

また受難状況に遭遇するの嫌だなぁ~

絵をサスティナブルに描くために

メモ書き程度に走り書きます。

実際に書くならnoteに推敲して書くかな。

家の建て替えで引っ越しを繰り返している間に自分にとって何が大切か?が判明。

絵を描くことが僕は知らず知らず大切にしているなという部分が非常に極まってきてまして、ただ、都心部に住む以上スペースってのは限られるなとも。

サイズが結構問題。

特に結婚して奥さんができて絵を作る活動を阻害する部分が多々ありまして。

相手は意に反すると暴力を振るうので流石に辟易。離婚も検討しているのですが、とりあえず今はその辺は置いておいて現状できる事をと考えるとデカい作品制作、実質描くことは許されないな。というのが基本路線。

なにせ、家が狭い。

僕が独身のときに買った家に2人だ。

建て替えで無駄に仕切りが増えた関係で収納などが激減。

家に有った20号くらい(何号だっけ?)までの絵は全部東武鉄道のグループ会社が運営するマイストレージに預けて凌いでいる感じ。

が、カネは無尽蔵ではないので、新作をマイストレージに預け続けるのも現実的ではない。どこかでパンクする。

加えて更に家を出て積極策として絵を作るためにアトリエを借りるとかそういう方向もあるとは思うのだけど、まぁ、今できる事は何か?を考えたわけで。

 

題して「サスティナブルに絵を描くには?」だ。

「サスティナブル(持続可能に)絵を描くには?」を真面目に考える必要が有るなというわけで、今の気になった部分をメモとして残しておきます。(ここまで前置き)

 

油絵が描きたい

ターナーガッシュでは筆目がでないからリキテックスにスイッチ中。

でも、本当は油絵が描きたい。

タッチを残す時間が多く、乾きづらいから色々連立的に考える時間ができる。

ただ、いろいろやってて時間がないので、アクリル絵の具に落ち着いている(ここ15年くらい)更に10年前はデジタルに傾倒していた。デジタルは良いのだけど、どうにも集中力が必要なのと、量産こそできるけど、経年劣化が脆いことが判明。HDDが飛ぶと死滅するし、使っていたベクター系イラスト作成アプリが死ぬと全滅する。

また、デジタルだと、出力系を別途用意する必要があり維持にコストがかかる。

サスティナブルではなかったのでやめた。

アクリル絵の具はまぁまぁっすね。

油絵の具の代替品としてアクリル絵を使いキャンバスにゴシゴシ絵の具を塗りつけるのは結構好きな作業です。

 

サスティナブルに絵を描く

ただ、油絵にしても、アクリルにしても、キャンバスが溜まるのがどうにもならないなと。問題だな。と。

これが20年くらい頭を悩ませてました。

キャンバスにすれば作品の持ちもいいし、飾るのも悪くないからいいんじゃね?

という印象で思考停止。作業をしてたのですが…

「キャンバスは厚みがあるし、デカいと場所を取るのでどうにもならないな」というのがここ最近の印象。

サムホールにしろ0号にしろ20点くらい書いてると結構なスペース取るんですよね。

10号とか6号が現実的なサイズで大きいと15号。頑張って大きな展覧会用に30号とか。(50号は実家に保管したまま…)

更に悪いことに日本の風土の問題、湿気があるのでキャンバスは「意外とカビる」ことが判明。カビたら僕も捨てるしか無いのです。

で、現状の帰結としてカビにくい、変色しない画材を求めたところ

30年前に買った画用紙(キャンソン紙)が普通に残っていたので意外とイケるなと判断。ベニヤ板にマウントして描いていき、最後に切って額に入れるスタイルに移行中。

画用紙は割りと多く確保してるので今のところ費用は絵の具代くらいのもの。

また、額は写真用にA4の額を6本用意したので、販売も含めてそちらを使っていく方向で検討中。

当面のところベニヤ板への水張りでのキャンソン紙のマウントとどんどん絵を描いていくというスパイラルでなんとかなりそうかと。

新宿の世界堂リキテックスを充実させてくれたのも良い機運。(前は限定的に大きなチューブしかなかったから渋々それで集めてた)

サムホールでの制作はサムホールコンテストなどがある場合、枠を結構持っているのとマウント前のキャンバス生地をもっているのでまぁやってもいいかな?と思い中。

ただ、サムホールサイズはいかにも小さいからA4くらいで頑張ってみようかな?と思ったり。

この「紙」+「アクリル絵の具」+「額」の装備で臨むのは今回のデザインフェスタ58が2回めになるので、今後の試金石として臨んで見る。

デザインフェスタ、たまーに売れるので頑張ってみようかな?と思った次第。

写真など含めどうしていくか?を考えているところなので、また、何かカチッとつかめる部分が有ったら共有したいと思います。

はい。

(アトリエ作りたい、油絵の具が使いたい…。)

 

「アクリル絵の具(リキテックス)」

「」

 

無敵の人にうさぎセラピー?半分くらいしか解決できてないっぽい

2019.5.29時点の書きかけの文書だけどもったいない?と感じたので(だが、加筆するには時間が掛かる)ひとまず出しておくことにする。

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登戸の通り魔連続殺人を受けたひろゆき氏の話を受け最近繋がる事象が多いなと考えをまとめてみた。

 

ひろゆき氏の提案

ひろゆき氏、約10年前に立てた予想に対してプランBを出してる。そのが面白く「うさぎを飼えば…あるいは」的な物理で叩きつつコストがかからないベネズエラの事例を引用しつつ解決を模索する面白い解決法かと。

 

ベネズエラの事例はアニマルセラピーか?

ベネズエラのうさぎはペット化して生き甲斐が出来たことでアニマルセラピーになった!…のか?

おそらくソレは理由の半分くらいで「食い物として配られたモフモフ」の「モフモフ」部分がもたらした側面でもう半分の核心部分は…運命的な虐待に自己投影した部分もペット化した原因の一部なのかと。

(ひろゆき氏はその辺も解ってるのかも、解説しすぎが野暮だと思ったのかも)

 

ヤギを配ろうがうさぎを配ろうが「避けられない一方的な虐待的立場」に自分が立たされたら「ヤベェ、こいつは俺が受けてる状況と同じだ、このウサギは俺よりもアウェイだ、ダメだ。俺らが食う訳にはいかない」ってなるのでは。

 

要はペットセラピーな面はこの気づきが芽生え始めてから起こるもので食われる側のウサギに立場的な同族を見つけその立場をいかにして救うか?という課題解決に目が向く事で「やる事」ができ「自分が救われるような幻想」もシンクロニシティが生み出し「事件起こしてる場合じゃねぇ」ってなったのでは?

 

他方、ひろゆき氏の話へのレスに「うさぎ飼う場所がない」という声も。

 

これまた然り。

都会には土地がないからペットを使ってのペットセラピーは趣向品、高級なものになってしまう。

 

また、田舎は比較対象が少ないのでまだ良いが、ルサンチマンを抱えるに至るトリガーを無敵の人」を「無敵の人」たらしめるトリガーは都会に多くあり(目立つ成功者の田舎者が非成功者の田舎者を都会の人のフリして叩く謎構造)

 

無敵の人を産む構造としては、先日書いた令和の時代の予想にある「多世代で築き上げる血統が勝利する世の中に逆戻りする」って未来と結びついてくる。

孤児院とか児童相談所とか貧困を救う系のクラウドファンディング?(ソーシャル互助会?社会奉仕活動をしながら奉仕される活動?リバースモーゲージ的な何か?)とかが救いになるのではないか?と思う次第。

カボチャの馬車とかでシェアハウスは少しヤバイ雰囲気を帯びた気もするけれど、まだまだコンテンツとしては余力があるのではないかな?と思うわけで。

 

直近、気になったところでは、児童保護施設とおっさんと独り身の独身女性の居場所を作るってことかなぁと。

まぁ、うさぎを配るよりえらく面倒な話で、おそらく紆余曲折は有るけど安心して暮らせるシェルターができると良いのではないかな?とね。

オガールの都市版というか…土地と人間関係の有効活用だ。

 

 

デカイカメラGFX50SIIを使ってみた。

とりあえず書きかけなままで、吟味する/推敲よりかなり前の段階だった気もするけど雑感なので新鮮なうちが良いとおもったので華麗に投稿しとく。

 

+--+本文ココから+--+

 

2023年9月すえの大きな撮影会で各メーカーがカメラの貸し出しをしてたので借りて使ってみた。

 

キヤノンの機材は昔使ってたので思想は理解しているつもり。

ニコンはZ30が欲しいと思ったものの、貸出機のZ9やZ8は多分買えないしフルサイズ以上を買うつもりで望むなら選択肢から外すと思う。(重いので)

買う事ができて使いそうな、マウントとして成熟しているものを考えるとパナソニックのSラインも外れてくる。

パナソニックはUIなどはよく分かるし、キヤノン以上に高級ラインのパナソニックマイクロフォーサーズで知っているし、青山で借りれるのでその日借りるのはやめた。

 

消去法で以前購入を考えていたα7IVを午前に借りる事にした。

(午後も何か他のものが借りれる)

ゾーンフォーカス+顔認証+70-200F2.8GMで人物撮影。

 

親指AFを多用していたPENTAXとも違うし、タッチフォーカスはパナソニックの2016年の機種GF7の方が気が利いてた。

で、AF合焦音を消したり細々設定をし、ストラップを右腕に巻き付けたりしていてやっと自分の設定にあってきた。

キヤノンのそれに近い状態だった。

オートマの自動車に乗っているような感覚。

レリーズすればあとはなんとかなる感じ。

時折AFがすっぽ抜けるけど復帰も早い。

一美AFがキチンと動いていたかは余りわからなかった。瞳AFが動いてるはずだったがフワフワと撮影時間は過ぎていく。

設定を追い込んだりというカメラへの興味が向かないのがなんとなく気になった。ゆとりができて絞ったり露出補正をしたり始めたけど、なんとなくしっくりこない。

キヤノンとの違いはこの辺かもしれない。キヤノンはUIが優れている。というか、撮影時に触りたい項目が前に出ている印象。ソニーのα7IVに関しては慣れが必要なイメージか。

サードパーティのレンズが多いので魅力的ではあるのだけれど、αは以前から、オリンパス同様UIが気になり購入に至らない。(NEXの頃から買おうとしていた。Cyber-shotは過去に買ってよく使ってたけど、設計思想はまた別な雰囲気も。βのビデオで育ちα7000のフイルムカメラを買うため貯金してたくらいなので欲しかったはずだがなんか違う…)

この日得た、というか再認識したのは

・ズーム必須

・オートマチックなカメラが良い

・フォーマットは大きい方が立体感でる

・デカイカメラは

で午前終了。

午後は興味本位でGFX50SIIにしてみた

デカイ。

手にストラップを巻き付けて持つとちょうど良い。

レンズは110mmF4マクロ

ラージフォーマット(中判というには大きくない素子なので最近はラージフォーマットと呼んでいるみたい)は圧倒的な絵を出す!

のですが、撮っていて

EVFが荒く緩慢

・大きいのでレンズも大きい

・レンズの径が太いから持つの大変

・重い、レンズも重い

・操作系は練り込まれているか微妙

 

操作系については瞬間的に活用してるので、よくわからないところだったのだけど、AFスポットが気づくと右上などに移動してしまっていて、指定したあたりにきちんと留まらない仕様になっていた。(慣れかな?)

瞳フォーカスもあるので何とかなるかな?とゾーンフォーカスと併せて使っていたけど、気づくと左上に。

縦と横を切り替えて撮る際などに変調を来す事が多く、慣れていない分このカメラは違うなぁ。と思った次第。

また、レンズ交換できるボディだけれど個人的に買ったとしたら、レンズ交換するのか?変えのレンズはどこに置いておくのか?などが気になった。

あと、EVFが古い時代のVカムみたいな、テレビを見ているようなノリだったので途中でウンザリして背面液晶で撮ったりもしていたと記憶しているので書いておく。

 

ココからは暫く経って、9月30日から18日ほど経っての悶々とした気持ちの共有

 

どんなカメラが良いか?欲しいか?を真摯に考えてみる。

カメラ自体はすぐ撮れるものが良い。

α7IVもGFX 50SIIも共に起動は早かった。

ココはOK。

操作性…というか操作して思った通りの絵が出るか?もしくは絵に近づけられるか?と言ったところもマニュアルがついてるしダイヤルも多いので問題なし。

ただ、GFXは上で書いたAF測距点がリセットされるものについて解決がないならちょっとどうか?と。

可搬性、ココが大変問題。

フォーマットが大きくなるほど素子に対してのレンズの大きさは大きくなる模様。

ボディの重さも放っておくとどんどん重くなる。

フルサイズよりもGFXのラージフォーマットの方がより大きく鏡筒も大きくなる。(当たり前)

この辺に関してはフルサイズも一時期のレンズ性能を最大化を目指した時に大きく重くなったのでなんとも言えない状態。

 

どんなカメラが欲しいか?

ラチチュードが高い。ダイナミックレンジが広いものが良かった。これに関してはココ5年のカメラであれば問題ない様子。

また、人の目に見て取れるダイナミックレンジはどうも脳がテキトーに調整しているようで、HDR的な機械処理をしないとセンサーの進化でなんとかなるって訳でもないみたいだなと理解して来た。(iPhoneなどはその辺を積極的に取り入れてるからHDRという表記をやめてしまった部分がある。)

 

可搬性は大事。ただ、レンズのサイズや描写性能がサイズに比例しているところがあり、妥協がどこかに必要。

突き詰めればGRIIIのようになる。

フォーマット、素子に関しては大きい方が良い。

ただ、GFXくらいの素子になるとどうも手に余る感じが。

あと、リズム感、レスポンスが良くないのでホイホイレリーズする感じでなく、ホチキスで書類を止めるようなリズム感、勢いをつけてヨイショとレリーズする感じに。(それも良い)

撮り逃したくない。という気もあるし、ピント合ってるか目を瞑ってないかなど不安なので数枚撮るとなるとちょっと大変。

多分最大限にコンパクトで、良いレンズで小さい。となるとα7の初代にツァイスのロクシア(マニュアルレンズ)とかが良いバランスになるのかもしれない。

軽く持ち出し、エモーションに訴える写真を撮る。

ただ、ソニーのカメラを使ってなんかメカだよな。カメラじゃないよな。というところが引っかかっているのでなんとも。

あの板チョコみたいなデザインが不味いのか。とっつきにくいUIが問題なのか。

絵作りなのか。

レリーズして満足感を得る肯定が歪な気がする。

社会的呼称の脱構築

色々名前が変わっていくなと傍観中。

 

フリーランス派遣社員になりつつある。

昔の高楊枝咥えて唸ってる感じではなく、人材派遣会社なりがブローカー(代理店)的に動いてる。

 

高プロもどきは社畜

NISAとiDeCo社会保障の放棄後のマイクロ社会保険になる予兆

 

耳障りのいい言葉で包み込んでいるようだけど、そんなに変わらないし変われない。

 

書きかけのような気もするけどポストしとく。

CHAT GPTのアカウントインターフェース/UXで詰む。

ChatGPTのアカウントをしばらく前に作ってみた。

で、そのアカウントを作る際に使ったメアドを忘れた。

⇒詰んだ(その0、序の口)

⇒まぁ、もうひとつ作ればいいっしょ☆
⇒アカウントは作れた。

⇒で、個人情報の登録と本人確認の部分へ

⇒「その電話番号は既に使わててるよ」

⇒知ってる。

⇒詰んだ。(その1)

まぁ、以前作ったアカウントに紐づいてるログインできるメールアドレスを探せばいいんでしょ?と思い当たる方々のGmailをあたった

⇒なし。

⇒詰んだ(その2)

そこで気がついた。

ここ14年くらい社内プロジェクトで使ってたメアド。

アレだ!

と。

⇒で、ログインを試みた

⇒入れた。

⇒凄い!俺!サイコー!!

と心のなかでスタンディングオベーション

そのメールは数ヶ月前に既にアカウントを閉じてしまっていて稼働していないので
いま生きてる仕事場のメールに置き換えようとアカウント変更を頑張ってみた。

⇒ない。

⇒詰んだ(その3)

⇒ま、まぁ、ChatGPTだし、メアド変更の方法をChatGPTに聞いてみよう。
 と発展的な思考でアプローチ。

⇒窓口に聞いてね(意訳)

⇒OpenAIの窓口を探すも無い。

⇒さ…さすがAI企業だな。サポート窓口がサイト上に見当たらない。

⇒詰んだ(その4)

そこで俺は考えた(マクガイバー的なアレ)

⇒メールが死んでるがログインできてアカウント動く

⇒しかし、今後認証などにメール使われるとジエンド。

⇒アカウントに電話番号が紐づいている(人質状態)

⇒なら、アカウント自体を削除すれば人質状態の電話番号開放でOKじゃね?

⇒冴えてるな俺!
(本日二度目の心の中のスタンディングオベーション

で、はやる心を抑えておごそかにアカウントを削除。

⇒削除していいなら「DELETE」って入力してね☆
(このやり取り、確かFitBitでえらい目に合ったのに似るな…ざわ…)

⇒めでたく旧メールに紐づいたアカウントを削除!

で、ひと段落ついたので再度、本命のメールアドレスで作ったアカウントを起動

生年月日を入れて、さぁ、問題の電話番号部分ですよ~

⇒「その電話番号は既に使わててるよ」

⇒「!」

⇒詰んだ。(その5)

現在、5回目の詰みを体験中。

おそらく、リアルタイムDBではないし、削除後に30日間はアカウント復帰できるように猶予期間を設けておく。という話だったので、それなのかもしれない。

仕方ないから1月待つ?

や、Birdとかclaudeとか使っておくとするわ。

お金もかなり調達できているっていう話だけどかなりあらけ釣りな感じだよな。という印象は得ました。

流行りのパスキーでの対応などではなく、頑なに電話でというのもまぁマッチョだよね。

とりあえず、新しい会社なので仕方ないと思いつつもなんとなくこのもやもやを共有して置くとします。

なお、メアドが死んだ際にアカウントを削除するのは悪手だとわかったものの、正解がわからないので、正解が分かったカドのひとは、その辺を何処かで共有されるとみんな喜ぶのではないかな?と思った次第。