ガラガラポン

<西新宿~飯田橋>世の中のおやっ?とを考察⇒ガラガラポン。

無敵の人にうさぎセラピー?半分くらいしか解決できてないっぽい

2019.5.29時点の書きかけの文書だけどもったいない?と感じたので(だが、加筆するには時間が掛かる)ひとまず出しておくことにする。

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登戸の通り魔連続殺人を受けたひろゆき氏の話を受け最近繋がる事象が多いなと考えをまとめてみた。

 

ひろゆき氏の提案

ひろゆき氏、約10年前に立てた予想に対してプランBを出してる。そのが面白く「うさぎを飼えば…あるいは」的な物理で叩きつつコストがかからないベネズエラの事例を引用しつつ解決を模索する面白い解決法かと。

 

ベネズエラの事例はアニマルセラピーか?

ベネズエラのうさぎはペット化して生き甲斐が出来たことでアニマルセラピーになった!…のか?

おそらくソレは理由の半分くらいで「食い物として配られたモフモフ」の「モフモフ」部分がもたらした側面でもう半分の核心部分は…運命的な虐待に自己投影した部分もペット化した原因の一部なのかと。

(ひろゆき氏はその辺も解ってるのかも、解説しすぎが野暮だと思ったのかも)

 

ヤギを配ろうがうさぎを配ろうが「避けられない一方的な虐待的立場」に自分が立たされたら「ヤベェ、こいつは俺が受けてる状況と同じだ、このウサギは俺よりもアウェイだ、ダメだ。俺らが食う訳にはいかない」ってなるのでは。

 

要はペットセラピーな面はこの気づきが芽生え始めてから起こるもので食われる側のウサギに立場的な同族を見つけその立場をいかにして救うか?という課題解決に目が向く事で「やる事」ができ「自分が救われるような幻想」もシンクロニシティが生み出し「事件起こしてる場合じゃねぇ」ってなったのでは?

 

他方、ひろゆき氏の話へのレスに「うさぎ飼う場所がない」という声も。

 

これまた然り。

都会には土地がないからペットを使ってのペットセラピーは趣向品、高級なものになってしまう。

 

また、田舎は比較対象が少ないのでまだ良いが、ルサンチマンを抱えるに至るトリガーを無敵の人」を「無敵の人」たらしめるトリガーは都会に多くあり(目立つ成功者の田舎者が非成功者の田舎者を都会の人のフリして叩く謎構造)

 

無敵の人を産む構造としては、先日書いた令和の時代の予想にある「多世代で築き上げる血統が勝利する世の中に逆戻りする」って未来と結びついてくる。

孤児院とか児童相談所とか貧困を救う系のクラウドファンディング?(ソーシャル互助会?社会奉仕活動をしながら奉仕される活動?リバースモーゲージ的な何か?)とかが救いになるのではないか?と思う次第。

カボチャの馬車とかでシェアハウスは少しヤバイ雰囲気を帯びた気もするけれど、まだまだコンテンツとしては余力があるのではないかな?と思うわけで。

 

直近、気になったところでは、児童保護施設とおっさんと独り身の独身女性の居場所を作るってことかなぁと。

まぁ、うさぎを配るよりえらく面倒な話で、おそらく紆余曲折は有るけど安心して暮らせるシェルターができると良いのではないかな?とね。

オガールの都市版というか…土地と人間関係の有効活用だ。