この5年で引っ越しを3度した。
その中で…趣味の部屋としての個人宅解体⇒2人暮らし⇒郊外へ⇒狭い都心へ
で、モノの取捨が迫られた
断捨離というか、物を持つ事が自他の認識の上で許されなくなった
必要なものしか持たず
服も最小限
道具の多い趣味は打ち止め
カメラとライフワークの絵は維持しつつ
可能な限りデータ化だ。
そして、昨晩。
データ化で受難を逃れていたモノたちが
外付けHDDの急なアクセスエラーにより事実上データとして消失した。
復旧屋に頼もうと思うが、とにかく一度データは死んだのです。
復旧するかも。と淡い期待はあるのだけど、お亡くなりになったのです。
多くの写真が飛んだ。
引っ越しのさなか、幼少の頃より聴いていた子守唄から
多感な時期に聴き倒したラジオ番組の録音などを
寝る間を惜しんでカセットテープから変換した音声データ
全滅だ。
一部写真に関してはクラウドに逃がせていたものもある。
AmazonPrimePhotoを利用している関係でおおよそ写真は逃がせている。
だが、仕事関連のサイトを閉じるにあたり逃していた
寄稿した渾身の原稿データなどが全滅だ。
カメラを担いで撮りためた動画ファイルも全滅だ。
アイデンティティの喪失?
地震が来て全部失った人の苦しみを段階的に受けている感じなのかもしれない。
歴史の追体験。
また作ればいい。と若い頃なら思うのだろう。
いまもまた作ればいい。そう思っている。
時間は若い頃に比べれば格段に無いのだけれど。
そうなってくると色々見えてくる地平も有る。
あと30年くらい何をして過ごすのか?ということ
更に僕は何をすべきなのか?ということ
運命を感じちゃうような出会いはもうそれほど無いのかも知れない。
主役をはる事も減るだろう。
なおさら、リソースを割り振る先を選択していくしかない。
そもそもそれほど高効率な人間ではないのでなおさらだ。
絵を描くだろう。
写真を撮るだろう。
懐かしい音楽やラジオDJの語りを聴くのか?とか
(カセットテープの音はもう無くてもいいのかも知れない)
HDD復旧屋に復旧は託すとして、その後どういう風に過ごしていくか。
ココを考えるべきかと。
まだ失意の状態なので判断は怪しいが、良いタイミングかと思えた次第。
こういった感情は忘れてしまいがちなので、書き留めておくことにする。