明日から令和が始まりますが、過去を振り返ったので次は未来予測をしてみます。
最近感じるところをトピックだてして、適当に書いてきますね。
昭和への揺り戻し
昭和が揺り戻したように鎌首を上げて世の中を襲い始めた。
昭和の逆襲。って感じですね。
テクノロジーを手に入れてみんなが進化できそうな雰囲気の有った平成とは真逆の方向に向かっている。
1億総中流。貧困層の再出現。テレビを見て何も考えないで過ごす層の戻りを感じる。
全体的に駄目な方向に進んでますね。
テクノロジーへの期待がそれほどでもなかった事、テクノロジーが多様化、複雑化したことでデジタルデバイドな人が増え、一見簡単そうなモノがおおくなり、難しいものと簡単な見え方の超絶なモノが二分化してきた。
簡単な見え方のものはテレビのようなもの。
インターフェイスをとにかく簡略化し、ストレスを与えず安楽椅子のようにする。
難しくはなく、ソレが有ればとりあえずは生きていける。
テレビの逆襲
安楽椅子のように…という意味ではテレビが復権してくると思います。
ただ、ネットで活動をしている層ではなく、老人と子供をテレビが襲います。
リテラシーが高くなく、暇でアクティブでない層を襲う。
特に何も考えず、ボーッとしている層を形成する土壌に成るのでは。
優秀ではないがそこそこ面白いコンテンツが口を開けていれば全時間で落ちてくる。
しかも無償で口の中に入り続ける福祉的マシーン。
誰かが意図した世界に留め置くビッグブラザー的な何か感が傍目に露呈…だ。
人口がそこまでいない世界
人口は右肩上がりに増え続けることは特に望まれていなかったのかも。
人口を上げ国力を上げていくトレンドはもう諦めたほうが良いのでは。
国力を上げるにして、土地、特に平地に限りがある日本だから人口を爆発的に増やし続ける事は無理がある。
外国を見て回ると判ることだが、1億人を超える人口を抱えた国は実際はそこまで多くなく、国土の面積から考えて今の日本の有り様が異常だっただけで、この先人口が爆発的、かつ常に右肩上がりに増えないからといって悲観することはないのではと。
(解決については働き方改革の項目を後に用意した)
秘境の存在再び
秘境がうまれる。
センサーが安くなり、安全を世の中に監視社会に成るのは何となく分かる。
個人のプライバシーは価値がある…とか言ったところで流出しても500円という値段が平成時代についてしまった。
ここは揺るがないのかも。
しかも、個人情報も細切れにしてまとめ直し「個人を特定できない状態」にし、個人攻撃に使わないようにすれば運用上問題ないのでは?というコンセンサスが生まれてきたのも確か。
もしくは、何か事件が起きない限り問題はなし。
で、情報ほドンドン吸い上げていくとデータを取る必要な部分がドンドン分析される…。
で、そういうメインストリームのその外の話。
需要のない、無価値な、余り人が知りたがらない部分に関しての情報が急激に保存されない世の中に成って来ているように思う。
サーバ代がバカにならないから検索されない情報は捨ててしまおうと言う動きがその一つ。
マニアックな情報はドンドン世の中から潰えていく。
そして、不要なとことの集合体が大きな群体になったとことろで秘境に生まれ変わるのでは?とおもったり。
可処分所得のない、センサーを置く価値もない人、モノ、事に関しての秘境が発生する。
物理的には、神隠しがかつて有ったような村落、アーミッシュの村的な場所において、GPSでの確認は可能だが、その村落でAmazonなどを使わないのであれば、誰も知らないで暮らしができてしまうのかもしれない。
ちっぽけな日本の中に謎の秘境スペースがうまれるわけだ。
働き方改革
話を現在の世の中に戻す。
皆さんうまくいってます?
休日を無理やり取る。
睡眠時間を無理矢理にでも作る方向に国を挙げて、というか世界的なトレンド、世界的同調圧力を根拠に向かってますが、コレが令和の課題になるのかな?と思ったり。
24時間営業が当たり前だったコンビニが休店時間を設けるように成ってきている。
昭和の働き方ペースに戻せとな。
しかし、売上は上げろと。
根性論が使えなくなり成功体験を失った
右肩上がりの成長する戦略でありながら、バブル期に得た「異常な回転力」を発揮し人的リソースをサービス残業やサービス始業?で乗り切り大きな収益を上げる昭和の勝ちパターンが使えなく成ってしまったわけで。
成功体験て他には?
って思いますが、頑張れば叶うとか、努力をすれば…ってのは焼け野原からの復興期に得た生存バイアスコミコミの成功体験で、しかも、朝鮮戦争特需も有ったりで、バブル期に至る日本の成功体験は今では活かせる部分がないようにさえ思うわけです。
休め。
長い時間働くな。
そうなると、今までの方法だと収益は上がらなくなります。
現業で稼ぐとなると異次元の転換を図らないとジリ貧になっていくことでしょう。
なんせ、部分的な瞬間的ニートを実施してるわけで、人間的な生活を手に入れられる半面、その原資についてはほったらかしになっていくという恐ろしい状態をみなさんは今体験していることになっているわけです。
貧困層がまた登場
瞬間的ニートではなく、フルタイムのニートになってしまう方々も発生するはずです。
需要はあるものの、働くことに制限が掛かり、事業が赤字になり、事業が立ち行かなくなると雇っていたメンバーを雇うことができなくなり、企業が解散をするということの結果でてくるフルタイムのニートって構図。
もしくは、別なところ、シングルマザーとか、パパ活とか、ホストぐるいとかそういう今っぽいカタカナな場面もなぜか社会的にOKって雰囲気をテレビなんかが作り出していて、テレビを見ている層のモラル低下が大波に成って襲ってくるのでは?と。
テレビを見ている層と見ていない層のモラルがずいぶんと剥離した感じになってくるのではと予測。
可処分所得が少ないからテレビを見ていたわけで、その層が更につまづくわけで…。
テレビで面白おかしく紹介している情報といえば、オレオレ詐欺の手口だったり、シャンパンコールが飛び交うような場所の情報だったり、丸棒な方々のシノギのとり方だったり。褒められた感じの情報でないものが公共の電波を通じてテレビを見ている層に伝播しているってのが…。
あと、面白いことに、テレビはおもしろ動画とか、動物動画とかをネットから仕入れているのに、ドラマなどではネットを巧みに操る犯罪者のイメージをガンガン織り込んで来ていますので、意図的にデジタルデバイドを生み出そうとしているのでは?と思ったりも。
まぁ、テレビにどっぷりというか、流しっぱなしにしている人は時間ドロボウといった優しいものではなく、何らかの意図に嵌め込まれている気さえします。そういったモラルがぶっ壊れた面々を製造する装置が今のテレビなのではないかな?とおもったり。
昭和はテレビからやってくる…っていう雑感はかなり正しいのでは。
生産性を上げるってことではなく価値ある仕事をしていく
プランナーの僕が話しているのだから、解決策も置いておく。
まず、情報源を変えろ。
テレビ意外も情報源に。だ。難しくてもいいからネットを使え。
併用でもいい。
まぁ、この文章を見ている人は特に問題ないかw
本や有識者を囲んだ座談会もいいかもしれない。
なんだったら有料のメールマガジンだっていいかもしれない。
ただ、心酔しすぎず、バランス良く自分のいる位置を認識できるような情報を取得し続けることが重要かと。
で…働き方改革の話しに戻すと「休め」は実行できたが「生産性を上げる」ことは実施できていない。
2割の残業ができなくなったので業績悪化。
ってのならギリギリ回避可能。
問題は…
3割の残業ができなくなったので業績悪化。
これだ。
3割だとおそらく継続不能だと思う。
ざっくり仕事上での雑感だが、現業を努力でカイゼンできるのは5%~15%が限度だろう。
そのカイゼンを毎年繰り返し重ねていくことは不可能と考えた方がいい。
労働の効率化やコストカットもどこかに限界は有り、その限界を攻めたところで2割を超える効果は見込めないというのが職業上の雑感。
わかりきったことだが、打開策を提示しておく
さて、なら、どうする?ということ。
一つは…
現業を諦め別の儲かりそうな仕事をつくるということ。
建設会社がラーメン屋になったっていい。
とにかく、現業が儲からないなら儲かることをやればいい。
現業を続けることはまぁ、クライアントに対して、社会に対してサービスを継続する事になるから悪くはないのだけれど、自身や従業員の将来の不安をはらみつつ進むことは只々リスクでしか無いと思う。
もし、まだゆとりが有るのであれば、そのゆとりがある内に必死になって取り組むといいと思う。ただ、現業にないノウハウが必要になるだろうし、リスクはもちろんそこにも有るので要注意。
もう一つは…
ってとこか。
魔改造に関しては死ぬ気で対応が必要だ。
無理せず、超高収益、超効率化。
モラハラはなしで、どこまで攻められるかが問題かな。
コレは、現業を再度見つめ直し、儲かっていない部分を切るのか、儲かっていない部分を効率化するのか、現業を少しスライドするだけだけれど、大きな変化はしなくて済むので社会的に信用を維持したまま新しいチャレンジができると思う。
もう一つは…
ダンピング上等で兵糧合戦を敷きコンペティターの退場を待つ。
業界を牛耳ることができる規模と蓄えがある場合に有効だが、覇者に成るために周りを焼け野原にする戦略。
まぁ、それでも、高効率でないとヤバイけど、価格設定が自由にできる立場になれば問題は解決可能かもしれない。
なんせ、世の中がシュリンクしていく局面だから、その中で生き残れればソレだけで覇者に成ることも可能ということ。
ただし、コレは体外的な参入障壁があり、日本国内の限られたコンペティター内で仕事が回っている場合の対応だ。また、周囲の会社のシノギを破壊して回ることになるので、最終的にそこにいた社員全員さえも面倒を見るくらいの気概で望まないとあとで恨まれることになるので、注意が必要。
いじめの新形態?
話題をここで変更。
多分だが、令和の世の中にも「いじめ」的なものは必ず発生するだろう。
目に見えた格差も発生し、テクノロジーを持つものと持たないものという状況も発生していくに当たり…また、先の見通せない社会になりつつあり、ストレスのハケぐちが見当たらない状態になるから、いじめの新形態は間違いなく発生すると思う。
ただ、まぁ、その環の中に入らないように、加担しないように、別次元で立ち回れるようにある程度の距離が取れる立場にハマれるように立ち回る必要がありそうですね。
自分の身の回りで起こっていなくても家族に何かあるようなら適切な対処をする必要があると思ったり。
経験者が潰えたバブルでも右肩上がりでもない日本の再発見
で、まぁ、しばらくは調整局面だと思います。
なんなら次の30年はずっと調整局面なのかもしれません。
とにかく、右肩上がりだった過去の成功体験を再利用は出来ない事になったことをきちんと受け止めてアクションをしないといけないハンデ戦になったことを肝に銘じるというのが最低限のルールの模様。
物量や残業チートによる加速はナシの世界。
戦後70年の成功体験は特に模倣せずに、新しい勝利の方程式を自分達で見つけ出すのが良いかと思います。
特に、そういった動きは明治の時期や昭和の戦後の時期に実際バランスを取りながらどうにか踏ん張るという形で解を見出してきたのが日本なので、この先に不安が有るや無しや?と言われれば不安はないといい切れるところがある。
現代史をきちんと把握しておけば、流れ的にリセットがかかる時期というのは新しい潮流、新しい商売がうまれるタイミングでも有るので、新しい価値を令和の改元とともに模索するというのはいいことではないか?と思ったり。
テクノロジー部分で
日本は再び青コーナーへ
前の話でも挙げたように、従来の成功体験は使えない。
ということが判明している。
となると、第二次大戦直後の焼け野原や明治の開国直後と同じ状況と認識すればよい。
焼け野原をはじめカオスな状況は可能性もいっぱいです。
時代を牽引するトップランナーでなく、追う側の立場になれば追いすがるため必死になるからアイデアも色々出てくるだろう。
海外勢力がライバル視して喧嘩をふっかけてくることは減るだろう。
つまり、レッドオーシャンではない。ということ。
この辺は理解が難しいかもしれないが、頭一つ抜け出ることがデキるチャンスが目の前にあるということだ。
逆に、弱り目に祟り目。東芝の半導体やシャープやエルピーダ、ジャパンディスプレイみたいに印象操作を実施。株価を急落させ海外勢力が買い取るなんて言うことも実際にまだまだ起こると思うので、上場企業は市場に出ていることの危うさにも気を払うことが必要と思ったり。
日本円が急落するようなことが有れば、こういった公開買収劇は更に激しくなるものと思う。なんせ、特許を丸取り出来たり、ビジネス的にお得だからな。
AIがでてくるよ
AIは来てます。
VRよりも来てます。
人が足りなくなると、クオリティコントロールが難しくなるから、多くの分野でリソース不足の問題が生じることでしょう。その埋め合わせに成るリソースの一端がAIというか機械化学習と学習により判断をして半自動で動くシステムの建造が求められる時代に成ってるということ。
何が必要かということを見極め、そこに対しての解決策を提供していくという形で、余剰資金がまだ底を尽きていない分野に対してAIの発展が起こることになると思います。
VRがでてくるよ
VRはおそらくAIほどではないけれど、センサーと画面の高精細化、更に電池の軽量化と高効率化などが実施されることでいきなりある時花ひらく物と思ってます。
日本は特に向いてて国土の利用可能な面積がそこまで大きくない日本ならイロイロとアイデアが出てくるものと思います。
場所に縛られない。と言う意味では、下手をすれば地価がVRの性能向上で下がることが起こるかもしれません。
会議室不要。ということが起こればビジネスはソレだけで自由になるのかな?と思ったり。
自動運転が当たり前になるといいな
これは、希望の部分ですが、高齢者の運転による事故が増えているのが解消されればいいなというのと併せ、高齢者も自由に世の中を歩き回れる足ができるといいなと言うこと。
パワードスーツが完成し、思う事ができるようになるようなSFの話、車が宙を浮く話だと遠い未来の話になりそうですが、クルマの自動化の話なら割となんとかなるのかもしれません。
また、クルマは国土の利用面積が狭いに日本だと、場所を無駄に取る存在とも取れるので個人所有は原則控えるように変わっていくのでは?と思ったり。
特に都市部ではクルマの利用はNGになるのでは?
タバコの全面禁煙みたいなもので、商用車と自動運転車以外はNGとしてしまえば良いことで、そうなれば交通事故も渋滞もへり、生活するスペースにもゆとりが出てくるものと思います。
(東京駅や山手線の駅前がロータリーを廃止して広々としてますが、本人中心のまちづくりが可能になるという意味では、日本向きの方向ではと思います)
そういう意味では、トラックは意外となくならず、乗用車は潰えて行くのかもしれませんね。
個人で所有する財としてのクルマは、瞬間的にですが、公共の場所である道路を専有し駐車スペースを出発点と立ち寄り場所の二箇所を必要とするなど非常に不経済な形で奪っていく存在ですし、有れば有ったで車上荒らしや車泥棒などが現れたり個人資産としては良い側面が少ないのでね。しかも、消耗していくし、車検などもあり、駐車場代もバカにならないと来たもんだ。個人所有するのなら、郊外のエリアに住んだ都会に住む以外の層のみになるのでは?
過疎の村でもなんとかなる
自動運転車が完成すれば過疎の村でもなんとかなるのでは。
少なくとも物流と個人の移動は可能になります。
自動運転車も「2人乗りバス」くらいのごく少数のプライベートが保てる単位の移動手段として存在するように慣れば公共交通でありながらプライベートを確保した移動手段として活用可能になるものと思います。
宅配もAmazonも病院への通院も居眠りしながら可能になるという意味では、非常に有効。
AIの発展で人間的な暮らしは命令を下すのみとなる。となれば良いかなと。
車の運転なんて苦役からは開放されると言う意味で非常に人間的な生活を送れる将来がそこには有るように思います。
鉄道好きな僕からすると自動運転、バス化の流れが本格すると鉄道がスイッチしていくことになるでしょうから、少し残念にも思いますが、大きな流れとしてクルマの進化が起こるものと思ってます。
というか、起こって欲しい。
限界集落に関しては、電気と水道と下水のインフラが問題になってきますが、そのへんは維持できなければ自分で買い求めるとか、近隣で取り組むとかに成ってくるのでしょう。
先祖代々から…といっても、その場所を離れずネットも電気も。というならそれ相応の対価を支払うべきだし、選択が迫られるようになるのかなと。
電気は太陽光などが有るとして、上下水道はどうしたものかね。
まぁ、そのへんは元々潤沢だからその土地に住むと先祖が決めたのでしょうし問題ないかな?
あと、考えられるところとしては、クルマのUIの革新が起こるかもというところかな。
ペダルを操作する部分はなくなり、手元でコントロールできるクルマに変わっていくのでは?これだけ多くの人を殺しているUIも例を見ないですし、国力を削ぐUIとみる事もできますので、UIの見直しという事が途中に挟まるのかもしれませんね。
コンパクトシティではない
コンパクトシティは未来があるのかな?と思ってましたが、富山もうまくいかないしおガールも微妙な空気を感じさせたので、自動運転車の発達でなんとか回避。というのが現状の答えではないでしょうか。
そもそも、オガールプロジェクト的なものはソ連の崩壊で一段落ついているわけですし、その追体験をみんなで実施する必要はないのかな?とも。
まぁ、中の良い集落が集落を上げて大移動を実施するということなら、それはソレで良いのかもしれないけど、全国で一斉に実施というと少し無理があるのかな?とモデルケースを傍から見ていて思った次第。
病気ではあまり死なない世の中になる
日本人は癌で死ぬことが多い。と指摘を受けたことが有ったが、日本人は大抵の病気は皆保険制度があるから医療でなんとか成ってしまう。そして、死因となるのは心停止(事故系)かまだ対応策が見当たらない癌か、ということになるのさね。といったら指摘したひとは「ぐー」とな。
さて、そう、既にお気付きの通り、医療の発達で日本人は死ににくく成っている。
加えて、ジジババも昔に比べ元気。
みんな労働リソースとして活用可能だったり。
リタイアしない世の中になってきているって言う気がします。
そうなると人口ピラミッドという言葉はおかしくなるのかな?と。
ピラミッド型が団塊世代と団塊世代ジュニアが膨れる妙なコマ、というかひょうたんみたいな形状に成っておりましたが、そのいびつな状態を通り過ぎることで新しい日本の社会の構成が確立するのでは?と思ってます。
上すぼみの形状≒ピラミッドではなく、鉛筆みたいな、上に行くまでは長方形位で最後に老衰で潰える形の生を皆が獲得する社会になるのではと予想します。
人口構成は「幼少:少年:中年:壮年」で「1:1:1:1」になるような社会の出来上がり。
何も騒ぐことじゃない。そうなってきているのだし、みんなで活き活き暮らそうじゃないか。エルフの街が目の前に出来上がるようなもんさね。
国際特許合戦
今以上に特許が問題になるだろう。
あと、某ネズミー絡みの著作権の問題は次の30年のも重くのしかかるものと思う。
会社が強い世の中に成ってくる
国は税金を取るためのものに成っていくだろう。
あと、税金を取りつつサービスを適正に国民に提供していくサービス集団として再度認識を改めるタイミングが有るのでは?と思ったり。
脱「モノ社会」
モノ社会からは既にスマホを通して到達してますが、スマホ+VRデバイスなどの発達でリソースとしてのと力の解放も行われるのではないかと予想してます。
IT上のサービスだけでなく、人のつながりなども含めたサービスをお金で買うような社会に成ってくるのかもしれません。
出会い系みたいなレベルのものではないモノになるのでは。
すごく昭和的と言うことはこの辺りも含めて昭和だなと。
昭和だなと言う言葉を使わないなら、非常に生物的で人間的な世界だなと。
まだ、デジタル全盛でなかった時代の生っぽい人の付き合いが戻ってくるのかな。と思ったり。少し面倒だなと思いながらも、SNS界隈をトリガーにマイルドヤンキーが発生したりしているのからもみて「あぁ、昭和だな」と思うだタイミングがやってくるはず。
また、なぜ昭和?と思うと、成功体験というか、未知の体験でない方によってしまったとき、今ではないプランBを誰でも知っている世界においてしまうという悪い癖の発露なのかもしれないなと。
それほど面白くないがクソゲーでもない世の中の登場
目覚ましいイノベーションが世の中を大きく変える。
というターンではなく、一度振り切ったデジタル化を人間にマッチするように滑らかに調整をする局面と言う認識でよいかなと。
従来は老人が増えすぎてヤベーやべーと言う感じでしたが、実際はそこまで悲観しなくてもよいのでは?と思ったり。
アンゴル=モアも空から降りてこなかったし、まだ宇宙人も飛来してないのでそこまで悲観することはない的な。
ただ、人が空を飛んだり、意識共有を完全にしたりという世界にもならないかなとも。
まぁ、期待を大にして新しい時代を迎えるのではなく、軽い気持ちで楽しく暮らして生きましょうよ☆というくらいの気持ちで良いのかな?と。
2019.5.3 後半息切れした部分を加筆。