この「他人に共感ができない人々」がインターネットを回す
ってポストの前半が中々秀逸だった。
<「他人に共感ができない人々」≒サイコパス>ってことらしい。
サイコパスって凶悪犯?
サイコパスってのは凶悪犯という感じではないらしい。ってのがよくわかった。
常識、罪悪感、倫理など精神的な障壁:<Psycho>を
乗り越える、飛び越える:<Pass>しちゃう人ってことらしい。
ぶん投げるのは良くないぜ。
<「他人に共感ができない人々」がインターネットを回す>のポストでは、Psycho-passが研究ではネットの炎上に向いてるって言う話題が出てきて、短絡的に「じゃ、サイコパスご一行様には炎上の燃料投入役として末永くネットで…」っていうオチをつけようとしている。
ただよぅ、もうさ、ネットってのはマイルドヤンキーレベルがその存在を意識せずに使う一般道レベルの存在になってる訳じゃん。
で、そこに、炎上を起こすのを認めて放置ってのは幾分大人気がないかなと。
そんな事を思ってたら<正義の人たちがインターネットを殺した>という、インターネットさんが既に殺されてるという衝撃のポストがw
や、インターネットさんは生きておりますよw
インターネットは「けもの道」から「国道」に
キャッチーなタイトルとは裏腹に、インターネットは元気に今日も活躍中。
まぁ、WELQとかキューレーションメディアみたいなスパム行為が突っ込まれる程度に社会インフラとして皆が保全をしようという場になってきたわけだ。
裏山にある、たぬきしか通らない「けもの道」では既にない。
諸君の愛したインターネットは死んだ?
「諸君の愛したインターネットは死んだ!なぜだ!!」
「坊やだからさ…。」
…ってわけではなく、ネットが楽しかった90年代後半は黎明期だから楽しかったんでしょうね。昭和30年代を懐かしむご老体、バブル時代を眩しい目で話す団塊と同様老害の回顧録とだいたい一緒。
大規模サービスが起こるときのパチパチした感じとイイましょうか、ひとが集まりさまざまなエネルギーが発生し、法整備が追いつかないような有象無象の中で踊るのはたしかに楽しい訳で、ただ、その状況はもう既にこの世のどこにもない。
(次の波は別の場所に来るだろうから、探せば似たものはどこかに現れるが)
ラッダイト運動は不毛。
機械が労働する場所を奪ったから打ち壊せ!と暴力を奮った時代が有ったそうですが、彼らが天下を取ったかと言えば否。
打ち壊し≒ラッダイト運動では未来は作れない。
ネットはアーリーアダプターが去って久しいし、既に一般化しているわけで昔を偲んでラッダイト運動を呼びかけるのは合理的ではないように思う。
F5ボタンを連打する前に、気づくべきだ。
じゃ、どうするか?
奇しくもWELQとかキューレーションを騙るスパムサイトが叩かれた後、数日で正義がインターネットを殺したとか、サイコパスを焚きつけろとかキャッチーだが指針としてはイササカ疑問な内容が散見されるので、書き始めたが、
インターネットはみんなで使ってね、仲良く使ってね。
って話と
サイコパスは分野とランクを分けて、
サイコパス≒倫理尺度が一般と合わない人同士が
和める場所をつくってあげれば良い。
そんな気がします。
LINEやFacebookがある程度回っているのは、現実世界を投影してサイコパスはサイコパス同士がなんとなくつながってられるからじゃないかな?とも邪推。
おそらく、僕の予想は数年のスパンで実現するから、3年しないうちに、こういったソーシャルが出来上がるんじゃないかな?とも。