ガラガラポン <西新宿~飯田橋>

世の中の流れでおやっ?と思った事案の考察などをガラガラポン。

平成が終わる。いい機会なので元号の機能について考えた。

こんにちは。

昭和の男、西新宿です。

元号って面白いですね。

国民が持っている謎の共通認識。

西暦とは違い天皇の即位などに合わせ変わる元号ってのは中々興味深い存在だったり。

政治的意味合いや信心の部分は置いておくとして日本的な「なにか」だなと日々感じる毎日。

 

昭和94年初春。

昭和の時代に生を受けたので、昭和はずっと続くものと思ってました。

たとえば、いまは昭和94年なのでは無いかという認識は…

 

無い。

はい、ココ面白いですね。

 

元号という謎概念を色々な書面に書き記してきたことで「あぁ、今は昭和なんだね」とパブロフの犬的に心に理解できる体に刻み込んで体得してきた日々の為せる技。

昭和やら平成という記号を見るとなにやら一括りの感慨を覚える文化構造がそこには有る。

 

物理ではない…考えるな感じろ的な

なんだかよくわからないけれど、寒暖の現れが日々変化していて、おおよそそぐるっとひと回りする1年ていう物理が有る概念の締めくくり、毎年やってくる大晦日の数十年単位の版の凄いヤツ。

また、必ずしもその元号のはじめは1月1日ではない。要は物理とは違った国民的なマツリゴト、共通認識「今日からこの時代は〇〇ですよ☆」ということの申し合わせが起こるわけで。

他の国にも有るみたいですが、西暦を受け入れて尚保持しているわけで、物理的な世界外のことを捉える暦として中々の高機能なのではないかと考えるわけだ。

 

国民的な概念の共有

この空気感を共有する際に時間に名前を付けるというのは非常に面白い取り組みだと思う。

共通認識が得難い物に名前をつける傾向は洋の東西を問わず人間に存在する。台風にジェーンだキャサリンだと名前をつけたりする。

それは、認識を共有する上で非常に有効であったのかも知れないが、台風は毎年頻発して命名が面倒くさい。という問題と台風の性格はそれほど問題ではなく、被害のサイズなどに差があったりするものの、発展的ななにかは無いのかも知れない。

日本でもジェーン台風なんて命名をしていた頃は有ったが、結局台風の多さに認識を共有する間もなく、数字+号という名称で認識が固定化し台風を全体で自然現象として認識するに至っている。

天皇の即位から退位までの時間。ちょうど一般社会でいうと就職からリタイアまで。おおよそ40年とか20年とかそれぐらいのスパンで話が進む。

明治や大正だと国のトップの在位期間なのでもっと明確な色がついていたのかも知れないが肌感で当方にはわかり得ないので、第二次大戦後の社会に関しての雑感になる。

ちょうど、20年とか40年とか30年くらいのスパンでひとまとめになると、社会変化が有ったり、世代≒ジェネレーション(20年くらいのくくり)を取り囲んだ社会の認識を共有するのに非常に役に立つのではと思った次第。

昭和に関しては少し長くなりすぎた感もあるけれど、昭和20年までと昭和30年台中盤~昭和40年までと昭和64年まででは随分とちがう。ただ、昭和を3分割して考えるなど、100年単位ではない区切りができて意外と良いのでは?と思ったい。

 

アメリカでは

アメリカだと「オールディーズ」とか「80's」とかざっくりなのか10年単位でしか語れない状態になりがちなようだけれど「明治」「大正」「昭和」「平成」ってのはパッケージとして時間を包むのに非常にポータブルでかつそこそこ大きいよいくくりなのでは?と思ったしだい。
(アメリカだと、大統領が時代を指すのかもしれないね。ルーズベルトのときは…とかケネディのときは…とかトルーマンのときは…パパブッシュのときは…クリントンのときは…オバマのときは…。となるし。)

 

世代という意味では、明治生まれは…とか昭和の女だから…と世代を世相を踏まえて掴むときに有用なもののようにも感じます。

また、世相を踏まえ世代を語るということは「ジェネレーションギャップ」を大前提に置いており、世代としてのプロトコルが違うぞ。という宣誓になっており、世代間の交流のときに自分は昭和だなとか僕らは平成だとか明治の漢は…とか有るべき姿を考えたり別世代とのギャップ差を埋める取り組みに元号という概念をもちいて臨んでいるような部分がありおもしろいところです。

元号とは違うのだけれど、団塊の世代、というのが僕ら昭和の終わり頃に生まれた世代には問題があり、世代間認識と元号というのはラジアルでもないなとも思ったりします。(団塊世代は社会問題に今後なるだろうから別枠なのかもな)

 

ネーミングについて

元号に近い命名という意味では人間の名前をつける事が文化的にも近いものなのかも知れない。

漢字二文字で名付けられる主体にとっての願いが込められていたりする。

幸子でも明美でもいい。

明治、大正、昭和、平成。

うん、何となくその主体に対する希望が詰まってたりするね。

キラキラネームや空虚な名前についてはこの際放おっておく。

空虚な名前はもしかしたら親世代からのネグレクトをするぞという呪いなのでは?と思ったりもするのだけれど、キラキラネームは別な効果も有るようなのでいまは即断はしないのだけれど、とにかく放置。

で、面白いのが得てして命名した名前とその時代は逆転するということ。

そうなってほしくはないから名前にして抗おうとして、結局名前とは逆の時代になってしまうのだったら、命名者は非常に先見の明が有る。

先見の明というか、マツリゴトに関して責任感を持って取り組んでいる人の思いってのは結構的を得ているということなのかも知れない。

 

明治

幕末後、明るく治まってほしい。(まだ薄暗くエポックメイキング。ギリ治まった)

大正

大きな意義があり正しくあってほしい。(短く、モボ・モガなど失敗した文化ができた)

昭和

大戦で敗戦。和をもつはずが、暴力騒乱事件が多く和んではいられない。

平成

バブル崩壊リーマンショックなど平和で平坦ではなく、成るどころか下がる感、閉塞感が半端ない。徐々に失われた〇〇年と言われるようになり、ずっと失われている。

 

元号でリセット?

これらが、命名することで逆パブロフの犬として潜在的に影響を及ぼしているのなら、元号を変えてしまいなかったコトにして新しい気持ちで取り組んでいこう。という江戸時代あたりでもポピュラーだった方法をとるのもアリかもしれない。

いまは、天皇の在位期間とリンクが必須なのかも知れないが、今後は有効ならそういう改元だけを実施する話も検討してよいのかもしれない。

 

ぼくは元号を支持 

プログラマなど合理的な考えを好むよとうそぶく一団にとっては西暦を支持し元号をなくしてもいいのでは?とする動きもあるが、元号は当初しっくり来なかったが今となっては無くてはならない平成という名前一つとってもそうだが、日本人に日本国内で起きたことを含めひと時代を認識させる仕掛けとして有益な概念の共有だったのでは?と思う。だもんで、元号制度は存続を願う。

 

で、元号の機能はどうだったんだい?

西暦にたいして不要?と目されてきたが、平成生まれとか昭和生まれとか明治生まれ、大正生まれとか、平成不況とか色々使いみちは有り、なんとも言えない微妙な時間枠をまるっと国民で共有できてしまう認識記号として元号は非常に有効だなと。

各世代の特性を活かして活気ある社会を作っていこうぜ!って言うときには特に有効かも。

あと、昭和生まれをdisってイキっていた平成の失われた世代の人はこれから平成生まれなのか、と若い世代にいろいろ言われるようになるから、まぁ、気をつけてオクといいのかもしれませんね。