ガラガラポン

<西新宿~飯田橋>世の中のおやっ?とを考察⇒ガラガラポン。

オワコンという言葉の古さと2018年らしいコンテンツの終わりについて考えてみる。

anond.hatelabo.jp

上の増田氏の投稿についてはてブもしたのだけれど、下記足りないので加筆をば。

 

ちなみに僕は「はてブ」にこう書いた⇒(nisisinjuku 自分が先に知ってたものを過去のものと切り捨てマウントする行為だね。マスによる流行がなくなり多様なコンテンツが散在する現在、コンテンツの価値を評価する軸として「流行りかどうか」は価値を持たないのでは? 

 

オワコンと切り捨てられた言葉に傷ついた増田氏に同情する。

面白いと思ったものを頭ごなしに蹴飛ばすってのは酷い行為だよな。

風来のシレンはオワコンなのか?

否、その辺をかんがえてみた。

 

●流行りという過去にあった価値観

従来コンテンツはマスマーケティング、テレビや新聞でプッシュされ作られた「流行」が実際にあり、ソレを受けて「今お茶の間で大流行」とか「今ニューヨークで大流行」とかって話の作り方があった。

 

●知り得る情報の多様化と人間の限界

今回の話題は「自分が先に知ってたものを過去のものと切り捨てマウントする行為」が現在の世の中的に悪なイケていない行為なのだと言いたい。

テレビなどマスメディアが作った「流行」が機能しなくなって久しい。

 

更にソコには、バブル期に有ったものを掘り起こしナンバリングタイトルを作り、リブートとかリメイクを良しとする世の中。多様なコンテンツ…過去の実験的な取り組みなどを含めコンテンツ≒感動の形が散在する現在。

そのあまたあるコンテンツを消費し尽くすことは人間の人生では到底足りない状況になっている。

好きなもののジャンルを極めるオタク的な人でさえ、ネットで集約集合的に集められた情報を網羅することはほぼ諦め、ネットを介して必要な時に必要なものを探し当てる生活スタイルに移行している。

(そのなかで、あのコンテンツは面白かったのか?どうか?という議論は有って良いと思う。)

 

●評価軸が世の中的に変わった。

イモい、都会的ではない。とかつてのバカにする言葉は有った。

今もある。が都市部の功罪もわかり田舎の良さも判るように成ってきて、都会的でないということが必ずしも悪いことではなく成ったのか、都会的でないと言ってる人たちが元田舎者だということが判ってきたからか、そういう部類の評価軸はなく成ってきたと思う。
(僕は生まれから東京育ちなのだが、そんな事をイキっていう人は東京生まれには少ないということもよく知っている。)

 

で、今回の「オワコン」についてだ。

コンテンツを評価する価値基準として「いま流行りかどうか」「コンテンツとして生きているか死んでいるか」は価値を持たないのではないか?

・コンテンツの数が多すぎる。

・新しいものをみんな楽しんでいるわけではない。

・古いものをみんなが体験しているわけではない。

・そのコンテンツが時代とマッチしていない楽しめない場合はNGだが。

となる。

ノストラダムスの大予言があり、世紀末を前にしたEVANGELIONのオドロオドロシサがいまは信じられない状態なのでEVANGELIONは実はコンテンツの旬は過ぎているのだが、別の見方も含めいまはコンテンツとして生きている。

風来のシレンはどうだ?

僕も恥ずかしながらやったことがない。

トルネコさえやったことがないのだが、ローグライクゲームは気になる。

そう、やったことがない人にとってはコンテンツとして終わっていない。

全然オワコンではない。

 

●オワコンの可能性とオワコンの否定

では、増田氏は何が悲しかったのだろうか?

オワコンという言葉の前後を考えればいいいのかもしれない。

(君が紹介しようとしたゲームは俺の中では)オワコンだ。

ということではないか?

つまり、コンテンツ自体の終わりではなく、バイト先の人の中で終結してしまったというだけの話ではないか?

もしくは、バイト先の人の視点で、彼が認識できる狭小な範囲の中で風来のシレンは語り尽くされオワコンとなってしまったということではないか。

有名コンテンツをオワコンと切り捨てコンテンツの終わりを宣言できる俺カッケー!とドヤりイキっているだけだ。
そんな暴挙に宝物を見つけ喜んでいる心をひりつかせる必要など無い。

 

うん。

 

話したバイト先の人とは話し合えないことがわかったのは確かだ。

それはいささか悲しいことだ。

しかし、コンテンツとして終了宣言を投げつけた彼は滑稽であり
コンテンツの終了を言えるほど彼は影響力がある人間ではないし、世の中の人のはやりを知れるほどの情報を彼は持ち得ていない。

 

シリーズもたま~に新作がたまに出てたりするわけで何の絶望を覚える必要もない。

風来のシレン - Wikipedia

 

新たに触れ、熱中できるゲームを見つけ興味をもって取り組めている今を楽しむべきだ。

そうして新しい冒険と新しい物語を紡ごうじゃないか。

(なんなら、開発者になって風来のシレンの新作作成に加わることだってできるわけだしな。シリーズが出ないなら同人だって構わないじゃないか!!)

 

タイトルの補完

・オワコンというのはマスが生きている時代にそのブームは去ったという言葉だった。

2chがまだ勢力が有った時代に2ch上でのオワコンかどうか?という話だった。

・ニコ動がまだ勢力が有った時代に(ry

・マスが機能しなくなって久しくコンテンツも多くなり頭ごなしにオワコンとは言えない状況になっている。

・コンテンツが古いかどうかという軸は有るかが、終わったかどうか判断しかねる。

・なんなら自分で作ったっていい。

 

いまようなコンテンツの終わりとは?

マスでないところでの終わり?

神様が信仰されなくなりフェアリーになってしまった状態に近い?

コンテンツが認識外のものになり、誰にも触れられなくなり語られなく成った時。

コンテンツとしての存在は霧散する。

認識している人がいて心の中にそのコンテンツがある以上オワコンではない。