ガラガラポン

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はあちゅうさんが作家を名乗ることでTwitterがざわついた件について考えた。 #ライター #作家

togetter.com

はあちゅうさんの活動はたまにはてブで話題になってるのでチラ見のレベル。

似た感じの響きの名前のひとにちょまどさんがいるけどこちらはMSさんがエバンジェリストの名を冠している。
(広告塔としても、ザマリンの名を轟かせていて良いと思います。)

個人的には各界で綺麗な人が多いほうが同じプレゼンテーションを世の中にするにしておっさんがやるより傍に見ててもウキウキするので頑張ってくれと思ったり。
(ブロガーさんとしての活動もエクサマリンのことも僕はよく理解してないw)
そこに何らかの野望?を持っているのだとしても、顔を出して頑張ってるのは、気概があっていいと思うんス。

 

で、本件。

自称する職業の呼称に関するバイブレーション。

はあちゅうさんは自分を「ブロガー・作家」とな。

「ライター」と言われて「ちげーよ。」ってことだったらしい。

はあちゅうさんが捉える「ライター」像に何かマイナス?なところがあり嫌なんだろう。

 

ただ、まぁ、ライターをdisると言うよりは、自分は嫌だと個人的に言っているようで、まぁ、ご勝手にと言うところですが…で、勝手に分析すると職業のライターを嫌なものだと認識するということではなく単語認識の問題なのかな?と思った次第。

 

ちょっとしたメモ書き程度だがはあちゅうさんを誹謗中傷をするという痛快な文章ではないので、その辺の紋切り型の文章が見たい人はお門違いかなと。

 

で、考えてみた。

一つはライターという呼称について。一つはざわざわの原因について。論旨は2つだ。

 

まず、ライターについて。

 

作家は「作品をつくる人」「作品の人」で作+家だから作品ありき。

ライターってのは「書く人」で何を書くかは語ってない。

 

本来的にははあちゅうさんはライターという呼称を毛嫌いする必要はないように思う。

今回はその単語認識のズレが一つの問題だったのだろう。

これは、その「ライター」として思い浮かぶ人、ベンチマークが誰かとか、どういう認識か?という個人的、主観的な問題を背景に「私をライターと呼ぶな」的な事になってきているのかもしれない。

おそらく、昨今の「ライター」っていうと、クラウドソーシングでキューレーションメディアに「10円でヨロ」って言われてる人達のことを「ライター」って扱いで扱われているのをみて「ライターって呼ばないで><」ってなったのかもしれない。

僕もコピーライターをやってたことがあって、編集ライターの友人がいたりしたことも有ったので、ライターという単語の安売り感は有るよな。と思っていたところもある。

ただ、まぁ、編集ライターにせよコピーライターにせよ良い仕事をしている人達もいるので、まぁ「ライター」というコトバを腐らす必要はないと思う。

「キューレーター」という仕事もあるけど、キューレーションという仕事自体があんな形で腐ってしまったので、同じようなことが「ライター」にも起こると予防線を張ったのかもしれない。

はあちゅうさんの勘をトリガーにしたポジショントークだったのかもしれない。

(キューレーションサービスに搾取されてたような)ライターとは違う!

とな。

 

で、もう一つの問題。

林真理子さんに免罪符をもらった、はあちゅうさんに対する「作家」呼称のざわざわ感。

 

なるほど。

林真理子さんは上の文章が真だとして、客観的に見ると「使いたければ使えば」と突き放しているような…。

 

まぁ、これは言霊てきなテクニックの問題ですね。

 

名乗ることは宣誓だし、仕事をする上で気概に繋がる。

俺は作家だ!

的な。

言ったからには引くに引けない。

結果、頑張る。

超頑張る。

的な。

 

で、何が問題か?というとココで出てくるざわざわ感です。

 

通常の場合、呼称を名乗ることでソレになるということも成立します。

なぜ、今回このことにざわざわ感があるのか?

 

これは、以下のような感じかと。

「有名な人」が自称してソレになる。を実践した時のみの問題。

 

「自分が認識する自分」と「他人の認識する自分」に開きがある場合違和感=「ざわざわ」を【社会的に共有】してしまうことで発生する「ざわざわ感の共有」って話。

 

林真理子さん的には「まぁ、いんじゃね?」ってところでほん投げておりますが、はあちゅうさんは林真理子さんが言うよりも有名でテクニック的に自称しておいてそこにキャッチアップをする。ということをやるターンではないのかもしれません。

この手法は、有名になるのと呼称した職業の練度、実現性が噛み合って成長すると外部の認識が追いついてくる手法で、有名なひとがやってしまうとニヤニヤされるだけになる。(ウマく行けば数年後には「まぁ、ね。」って感じになる。)

 

とかく、はてな村民とかトゥギャッターあたりでまとめられているってことは、思いの外、ネットでは大人気なのかなと。(残念ながら銀座ではない)

 

銀座は社会なのか?と言われればまぁ、某大手代理店の城下町?(新橋?)(⇒古巣に目に物見せるのが野望?)くらいの感があますが、ネットはそれ以上に社会だとも思いますので、数万単位でざわつける。自体になってる…とな。

しかも、キューレーションサービスのライターを向こうに回しているのが真だとすれば、ある種ガソリンを撒いている行為だったのだけど、違う枠の人、吉田豪氏がそのガソリンに鼻を利かせたのかな?とも。

まぁ、大炎上に成らなくてよかったですね。

 

ってのと、キューレーションサービスのライターさんはいまはソレどころじゃないのかなぁと思ったりして、それはそれでキューレーションサービスを出してる上場企業さんが社会責任を果たして行けばいいのかな?とおもったりしたわけです。

 はあちゅうさん自身が、実際に考えている以上に影響力がでてきていることの現れであり、有名になっているのだから「林さんが言ってたから~」という他力を使うのではなく、社会をざわつかせない対策をとるべきかな?と思ったりします。

(有名になる。有名人てのは、社会の一部であり、それなりの社会責任を帯びるところがあるのでね。その責務を果たすべきとも。今回の投げ掛けにたいしてはあちゅうさんは「ブロガー・作家」で行くとルフィーのごとくドンとかまえましたが、それだけでは足りないのでは?ということ。)

 

プランは2つ。

1つはトゥギャッターのコメントのなかにもありましたが「名乗ることでソレになる」というテクニックの延長線上。作家になる。

小説家、絵本作家、絵描き、写真家、なんでもいい。賞でもとるとか、ギネスに載る量を生産するとか、なにか皆が納得の行く作品を作る。

 

もう1つは、べつの名称を名乗る。

世の中にはある種今までにない仕事を始めている人が多くいて、はあちゅうさんもその一人で、先鋭的なものなので、他にはない。ということで、チープになりがちですがなにか新しい名前を付けたほうがいいかなとも思ったり。

「コンテンツライター」

とか

「コンテンツメーカー」

的なところが良いのではないでしょうか?

コンテンツを作る人であり、書くのを外注している場合もあるし、この先文字をパチパチ打ち続けるのか?というと、もっとできることもありそうですし、ブロガーという範疇でいるのも勿体無いかな?と思ったり。

 

まぁ、僕は兼業ですがプランナーなので、少なくともこういう話で問いがある場合、そして挙手をして何か物言いをする場合、すくなくともひとつプランを用意しますが、だいたいこの辺りで応えになるのかなと。

せっかく名前も売れてきているのだから、呼称などというコトバに縛られないように何かの一助になればとも思った次第。