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ガラガラポン <西新宿~飯田橋>

世の中の流れでおやっ?と思った事案の考察などをガラガラポン。

同じ映画を何度も見るのは共有体験の渇望でなく、今風の作る人への感謝と時間の扱いの変化では? #映画 #ガルパン

映画館に割りと見に行く。

ファーストデイに行くことが多い。(最近じゃ、木曜日も安いらしいが)

君の名は。」もみたし「この世界の片隅に」も見た。

傷物語」も3作見た。

たまゆら」三部作も2つ「銀魂」も見た。

んで、この下の記事をみて

「なんか、感触が違うな」

と。

mantan-web.jp

 「いつでもどこでも」が普及するにつれ、逆に「共有体験」が希少性を帯び始めてきた。すでに音楽ライブ市場は2013年にCD市場を追い抜いているが、同様の現象が劇場版アニメについても起きているとみるべきだろう。

 って言ってるのが上の記事の論旨だと思う。

 

だが、共有体験の希少性を満たすのは映画でなくロックフェスでは?

 

ガルパンの劇場版を4回見たのはバルト9で初見、CINEMA4DXや立川も含むのだけれど、上の記事の感覚はズレるな…。とね。

その「もやもや」を原動力に以下を書き進んでみる。

 

 

共有体験ではなく、疑似共有体験がちょうどいい。

祭りに若い奴が行かなくなって久しい。

映画館へ足を運んででかい音をカラダで聴いて喜ぶのは祭り要素では?と。

コレが一つの想定できるもの。

どこの街も祭りはソコソコ元気が有るように思うけど、実際は法被を貸して外から担ぎに来る人が多いように思う。

あのユニフォームを着込んでドヤってる閉じられた世界感。

リア充ですよーと宣言しながら地べたで酒を飲むあの感じ。

ちょっと現実的に現代的でない。

そう、町内に普段もっと人がいるはずなのに神輿の回りにはその居るはずの人がいない。

祭りに人が集まらないのは「共有体験<<<しがらみ。」なのでは。

時間的な拘束。人間関係のしがらみ。街との関わりもあやふや。

祭りって存在は、共有体験を得るってことが得られるものだとすれば
現代都市部においては、カナ~リ面倒なものになってしまったのでは?

 

で、面倒でない「共有体験的なもの」ということで
たまたま映画館に人が集まったのかも。

 

コスプレ上映とか騒ぐ映画はロッキー・ホラー・ショーが元祖だろ?

騒ぐタイプの上映の元祖?古くはロッキー・ホラー・ショーなどで、コスして上映時に騒ぐっていうのは流行っていたような気もするのだけれど、どうも今回の記事が捉えている現象はロッキー・ホラー・ショーのそれとは違う。

ロッキー・ホラー・ショーで騒いでたのは、下北沢の映画館ほぼオンリーだった気が。

ロッキー・ホラー・ショーの段階ではサブカルなひとたちの土着な非定期開催の祭りだったのかと。

(単館映画館の企画ものってのはおおよそ、出し物全部が祭りって気配はある)

昨今の映画を何度も見るってのが出し物として全国に定着したってのは、ロッキー・ホラー・ショーとは明らかに違う。

 

なんだろう…

 

全国的な統一した価値観を世代的に持ったのかもしれない…。

 

 

 

 

映画は時間帯が選べる時間軸に対しての自遊な疑似的のお祭り

 

忘れては成らないのがシネコンの存在。

綺麗なシネコンで、多くの上映時間を用意している。

深夜もあれば、早朝も。

時間が自由になるというのは大きい。

まさに演じられている現場にいるのだけれど、厳密には生ではない。

疑似現場共有体験というか。

生で現場がある上質なニコニコ動画

ってことでは。

1980年代、マスメディアが得意だったこととは少し違う。
上演開始の時間軸を多元的にしうる、同一の内容を毎度体験できる映画。

 

毎度感動できる。

 

馴れることでファンになる。

 

なんだ、そんなことかw…ではない。

 

テレビやラジオなどが虫の息なのもよく分かる。

 

現代のマスメディアの最大の弱点はストリーミング配信と同じで「同時性が確保されていること」だ。

既にスマホによって時間の制約が多くなった現代では、時間の同時性が必須という縛りは単なる「お荷物」だ。

 

対して、映画館の優位性はある。

上映期間であれば、自分の好きな時間帯に見れば良い。

 

ニコニコ動画的な時間の疑似共有は隣りにいるやつとコミュニケーションしない限りさして気にならず盛り上がれる。

たとえば、ガルパンを封切り後すぐに見た人も1年後に見た人も同じ感動ができる。

時間軸が違っても話題が共有できる。

ってことに近い。

 

 

 

タダ読みしたあと買う勢の存在。作者への賛同の仕方の変化。

ココが実は大きなポイントだと思う。

マンガを買う。

 

ラップでぐるぐる巻きのマンガは買わない。

 

一回読んで満足したら
そのマンガを買う。

 

そんなことを言う人達がいる。

 

ファンツールの一つ、満足へ対するコミットなんだそうだ。

 

んで、映画を何度も見るのは、良いコンテンツで有れば何度も見るわけで。

自分の推し映画が有れば、何度も見るわけだ。

 

推しメンがいればCDつき握手券を何枚も買うのと同じ構造。

もしくは、

最近のよくできた課金ゲーム、最近のソシャゲなんかの重課金層と同じ構造。

(ゲームが面白いし、楽しい時間が長続きするなら払うのも悪くない。という層)

 

「自分の好きなコンテンツ、好きなもにに対してお金を払うスタンス」が醸成されつつ有るということ。

クラウドファンディングもその一つだが、あとで触れる。

 

旧来ならスタンディングオベーションで「ブラボー」と叫び、演者に示していた感動が演者に対して示せない。感動したことをどう表すべきか?

そういう歯がゆさを解決するための応えが何度も映画館に行くという行動に昇華されたのだ。

 

良かったら払う。

 

なかなか昭和の世代にはできなかったことだが、フリーミアムモデルの到達点として、無料だけれど良ければお金を払う。という善意?で行動するような所まで来たわけだ。

 

そして、スマホによって時間が掠め取られた結果、ひとは怠惰になった。

「良かったら円盤を買ってください!」

というアニメ会社が多く有るが、
もはやBlu-rayをトレーに載っけるのが面倒だし、
そもそもテレビの前にいる時間がない。

作品も多い。

そして、ココは日本だ。

部屋のスペースは有限!!

…って訳で、Blu-rayより良いものを手軽に、そして、お金を作者側へ渡せる手段は?ってことで映画館なのではないか?

 

だが、映画館は喜んでいる場合ではない。

ネタバレしてもいい。

良いものが見れればイイ。

作家にお金が行くようお金を払いに行く。

なんなら、クラウドファンディングでまだできていない作品にすら、監督の名前がわかればお金を払う。

 

コレって、完璧に覚めている状態だと思う。

 

共有体験の渇望とか、
そういう熱狂的な状態ではない。

 

推しが効く、何度もみるという物量戦を仕掛ける意味ではアイドルの握手券からシフトしている勢力もいるだろう。

だが、マスメディアに関しては信用していないように思う。

 

また、今回の記事は設備費がかさむCINEMA 4DXが糸を引いた

「CINEMA 4DXはイイぞー!」という宣伝で締められているが、
映画を好むなら極上爆音上映こそ至高!と思う。(※個人の感想です☆)

CINEMA4DXは初見だとストーリーが頭に入ってくる余裕はないし、アレは1度はイイけど作品を冒涜しているようにも思う。(ストイックじゃない人にはイイけど)

そこまでストイックか?

って話もあるけど、何度も見に行く人ははじめの数回はストイックだと思う。
5回行くうちのラスト前1回を遊びで見に行くってのはありな気もするが、そんなところだ。

アトラクションに乗りに行くなら、ディズニーランドにでも行くほうがイイだろ?
(良いものにコミットするっていう人たちを馬鹿にしているとヤバイ。)

 

そう、映画館がにわかに盛り上がってきている…から、不採算だったCINEMA 4DXを今売り込んでおこう。なんて言っている場合じゃないってこと。

たまたまスマホで時間がとられ、面倒だから映画館に行っているだけで、特に映画館でなければ成らないというキラーアプリに成る場所は映画館には無い。

VR用のヘッドセットが爆安になる事態が起これば、映画館は窮地に立たされることに成るだろう。

VRで上質な音で円盤でなく配信で提供。

いいんじゃね?

「家にVRデバイスが有れば」

めんどくさくもないしね。

 

 

 

コミットしたい相手に本当にコミットできてるかという問い。

映画を作っている監督や作成しているスタッフへのコミットがある種の原動力になっているのだとすれば、VRが来たからと行って映画館は安泰では?という気もする。

ただ、覚めているファンが有ることに気づくと、いまの状況はガラッと変わるかもしれない。

なにに気づくかと言えば、映画を作っても監督やスタッフにカネが落ちないということだ。

製作委員会方式だったり、博打打ち、山師の成れの果てという興行主=映画館がマルっと売上を持っていってします。

んで、監督は映画が売れようが売れまいが、雇われであり製作委員会方式であるかぎり、弱小のアニメスタジオは自分が持ち出せる分だけのリターンしか一向に得られない。

ということ。

まぁ、マニアはそこまでいない訳だが、多くの記事などでウスウス自分が向けている制作陣へのリスペクト、コミット、支払いはじつは違う人間のポッケに入っているということに気づき始めている。

この世界の片隅に」のクラウドファンディングの例は、恐らくそういったことへの警鐘でも有ると思う。

東映でも東宝でもない映画会社がアレだけのヒット。

女優「のん」はNHK以外は援護射撃どころか放送禁止扱いだったわけで、でも、その映画がクランクイン前からお金を出す人がいて、上映してみたら結構な入りがあり、堂々の成績を収めている。

映画は芸術だしカネじゃない。

と偉いひとたちが嘘をついていたわけだが、そろそろそういうマスメディア的な話も置いておかないと行けないターンに差し掛かっているのでは?

庵野監督がシン・ゴジラでみせたスポンサーを一社に絞る、中にはいるのは自分が持っている会社。という策はこういった面では言いたいこと、やりたいことがズバッとできて成功だったと思う。

 

 

 

ということは。

クラウドファンディングでやる以上、映画館での興行は行わない可能性さえ出てきており、また、映画館でやるなら東宝東映が1社提供で監督の持つ会社にきちんと支払いをする。ということが次に起こるシフトではないでしょうか?

・客は冷静。

・イイものに金を出す。

・制作側にカネがいかないならコミットはしないかも。

どうだろう。

結構いい線ついていると思うんだぜ?