ガラガラポン <西新宿~飯田橋>

世の中の流れでおやっ?と思った事案の考察などをガラガラポン。

平成が終わる。いい機会なので元号の機能について考えた。

こんにちは。

昭和の男、西新宿です。

元号って面白いですね。

国民が持っている謎の共通認識。

西暦とは違い天皇の即位などに合わせ変わる元号ってのは中々興味深い存在だったり。

政治的意味合いや信心の部分は置いておくとして日本的な「なにか」だなと日々感じる毎日。

 

昭和94年初春。

昭和の時代に生を受けたので、昭和はずっと続くものと思ってました。

たとえば、いまは昭和94年なのでは無いかという認識は…

 

無い。

はい、ココ面白いですね。

 

元号という謎概念を色々な書面に書き記してきたことで「あぁ、今は昭和なんだね」とパブロフの犬的に心に理解できる体に刻み込んで体得してきた日々の為せる技。

昭和やら平成という記号を見るとなにやら一括りの感慨を覚える文化構造がそこには有る。

 

物理ではない…考えるな感じろ的な

なんだかよくわからないけれど、寒暖の現れが日々変化していて、おおよそそぐるっとひと回りする1年ていう物理が有る概念の締めくくり、毎年やってくる大晦日の数十年単位の版の凄いヤツ。

また、必ずしもその元号のはじめは1月1日ではない。要は物理とは違った国民的なマツリゴト、共通認識「今日からこの時代は〇〇ですよ☆」ということの申し合わせが起こるわけで。

他の国にも有るみたいですが、西暦を受け入れて尚保持しているわけで、物理的な世界外のことを捉える暦として中々の高機能なのではないかと考えるわけだ。

 

国民的な概念の共有

この空気感を共有する際に時間に名前を付けるというのは非常に面白い取り組みだと思う。

共通認識が得難い物に名前をつける傾向は洋の東西を問わず人間に存在する。台風にジェーンだキャサリンだと名前をつけたりする。

それは、認識を共有する上で非常に有効であったのかも知れないが、台風は毎年頻発して命名が面倒くさい。という問題と台風の性格はそれほど問題ではなく、被害のサイズなどに差があったりするものの、発展的ななにかは無いのかも知れない。

日本でもジェーン台風なんて命名をしていた頃は有ったが、結局台風の多さに認識を共有する間もなく、数字+号という名称で認識が固定化し台風を全体で自然現象として認識するに至っている。

天皇の即位から退位までの時間。ちょうど一般社会でいうと就職からリタイアまで。おおよそ40年とか20年とかそれぐらいのスパンで話が進む。

明治や大正だと国のトップの在位期間なのでもっと明確な色がついていたのかも知れないが肌感で当方にはわかり得ないので、第二次大戦後の社会に関しての雑感になる。

ちょうど、20年とか40年とか30年くらいのスパンでひとまとめになると、社会変化が有ったり、世代≒ジェネレーション(20年くらいのくくり)を取り囲んだ社会の認識を共有するのに非常に役に立つのではと思った次第。

昭和に関しては少し長くなりすぎた感もあるけれど、昭和20年までと昭和30年台中盤~昭和40年までと昭和64年まででは随分とちがう。ただ、昭和を3分割して考えるなど、100年単位ではない区切りができて意外と良いのでは?と思ったい。

 

アメリカでは

アメリカだと「オールディーズ」とか「80's」とかざっくりなのか10年単位でしか語れない状態になりがちなようだけれど「明治」「大正」「昭和」「平成」ってのはパッケージとして時間を包むのに非常にポータブルでかつそこそこ大きいよいくくりなのでは?と思ったしだい。
(アメリカだと、大統領が時代を指すのかもしれないね。ルーズベルトのときは…とかケネディのときは…とかトルーマンのときは…パパブッシュのときは…クリントンのときは…オバマのときは…。となるし。)

 

世代という意味では、明治生まれは…とか昭和の女だから…と世代を世相を踏まえて掴むときに有用なもののようにも感じます。

また、世相を踏まえ世代を語るということは「ジェネレーションギャップ」を大前提に置いており、世代としてのプロトコルが違うぞ。という宣誓になっており、世代間の交流のときに自分は昭和だなとか僕らは平成だとか明治の漢は…とか有るべき姿を考えたり別世代とのギャップ差を埋める取り組みに元号という概念をもちいて臨んでいるような部分がありおもしろいところです。

元号とは違うのだけれど、団塊の世代、というのが僕ら昭和の終わり頃に生まれた世代には問題があり、世代間認識と元号というのはラジアルでもないなとも思ったりします。(団塊世代は社会問題に今後なるだろうから別枠なのかもな)

 

ネーミングについて

元号に近い命名という意味では人間の名前をつける事が文化的にも近いものなのかも知れない。

漢字二文字で名付けられる主体にとっての願いが込められていたりする。

幸子でも明美でもいい。

明治、大正、昭和、平成。

うん、何となくその主体に対する希望が詰まってたりするね。

キラキラネームや空虚な名前についてはこの際放おっておく。

空虚な名前はもしかしたら親世代からのネグレクトをするぞという呪いなのでは?と思ったりもするのだけれど、キラキラネームは別な効果も有るようなのでいまは即断はしないのだけれど、とにかく放置。

で、面白いのが得てして命名した名前とその時代は逆転するということ。

そうなってほしくはないから名前にして抗おうとして、結局名前とは逆の時代になってしまうのだったら、命名者は非常に先見の明が有る。

先見の明というか、マツリゴトに関して責任感を持って取り組んでいる人の思いってのは結構的を得ているということなのかも知れない。

 

明治

幕末後、明るく治まってほしい。(まだ薄暗くエポックメイキング。ギリ治まった)

大正

大きな意義があり正しくあってほしい。(短く、モボ・モガなど失敗した文化ができた)

昭和

大戦で敗戦。和をもつはずが、暴力騒乱事件が多く和んではいられない。

平成

バブル崩壊リーマンショックなど平和で平坦ではなく、成るどころか下がる感、閉塞感が半端ない。徐々に失われた〇〇年と言われるようになり、ずっと失われている。

 

元号でリセット?

これらが、命名することで逆パブロフの犬として潜在的に影響を及ぼしているのなら、元号を変えてしまいなかったコトにして新しい気持ちで取り組んでいこう。という江戸時代あたりでもポピュラーだった方法をとるのもアリかもしれない。

いまは、天皇の在位期間とリンクが必須なのかも知れないが、今後は有効ならそういう改元だけを実施する話も検討してよいのかもしれない。

 

ぼくは元号を支持 

プログラマなど合理的な考えを好むよとうそぶく一団にとっては西暦を支持し元号をなくしてもいいのでは?とする動きもあるが、元号は当初しっくり来なかったが今となっては無くてはならない平成という名前一つとってもそうだが、日本人に日本国内で起きたことを含めひと時代を認識させる仕掛けとして有益な概念の共有だったのでは?と思う。だもんで、元号制度は存続を願う。

 

で、元号の機能はどうだったんだい?

西暦にたいして不要?と目されてきたが、平成生まれとか昭和生まれとか明治生まれ、大正生まれとか、平成不況とか色々使いみちは有り、なんとも言えない微妙な時間枠をまるっと国民で共有できてしまう認識記号として元号は非常に有効だなと。

各世代の特性を活かして活気ある社会を作っていこうぜ!って言うときには特に有効かも。

あと、昭和生まれをdisってイキっていた平成の失われた世代の人はこれから平成生まれなのか、と若い世代にいろいろ言われるようになるから、まぁ、気をつけてオクといいのかもしれませんね。

人生って何がおもしろいの?という問いに対してテキトーに答えておく。

anond.hatelabo.jp

 

興味深い質問だ。

人生が面白いかどうかは
個人の捉え方次第だ。

というのは表層的な答え。
答えているようで答えから逃げている。

 

実は面白くない。

というのも正解。

ただ、それじゃぁ味気ない。

 

人生って何がおもしろいの?

が質問だから軽く答えてみるとする。

基本はドーパミンが出るかどうか。とかセロトニンが出るかどうか。

と見ればいいのかな?

もしくはもっと哲学的な方向で。

 

 

 

マゾっぽいひとなら

マゾっぽい人なら賽の河原プレイなどいかがでしょうか?

積み上げてまた崩す。

クラッシュアンドビルド。

・頑張って積むロマン

・一瞬で全部崩れる喪失感

プロジェクトマネージャーにありがちな快楽の世界。
(PMさんはマゾ?)

 

ドラマを見る

ドラマを見るってのはどうだろう。

他人事、絵空事を半笑いでみる。

他人事、絵空事をかぶりついてみる。

見方は個人のスタイルによりけりだが、他人事で絵空事をみることで自分が知らない体験を仮想でノーダメージで見られるというのは非常に有意義では?

 

ギャンブルに浸る

馬でも株でもなんでもいい。

財産が増える財産が消失する。

そのヒリツク感覚を覚えたらそれはそれで面白いですよ☆

 

 

働く

頑張って働く。

働くのはいいね。お金がもらえる。

お金もらって牛肉が食べられる。

 

苦労をする

苦労をするのは楽しくはないけれど、苦労をして開放されたときに苦労をしている時間と比較すると相対的に開放されたときが楽しくなる。

 

カメラをもって出かけよう。

カメラを持って?だって?

カメラを持って出かけて少しでも良い景色や光があたってキラキラしているもの。かわいい人がいたら撮っておこう。

おもしろくない状態の時が来るとして、その自分にとって面白かったものを見返すのは意外といいことだなと後で思ったりも出来る。

好きな時間を「ちょっと」だけ取り置きしておくということかな。

ノスタルジーに浸るのが好きでないならNGだが意外といいものだよ。

 

 

おもしろくない時間を減らす。

おもしろくない時間を減らせば段々面白くなる。

 

寝てるだけの毎日。

コンビニ弁当だけで暮らしている毎日。

この辺を削っていこう。

 

なんなら長い旅に出たっていい。

履き慣れた靴を履いてお気に入りのバッグを背負って出かけよう。

 

出かけなくてもいい。

 

お気に入りの椅子で本を読んでもいい。

お気に入りの椅子が無いなら、お気に入りの椅子を探しに行ったって良い。

 

お気に入りの椅子を買うお金がないならお金を手に入れるために働いたっていい。

 

おもしろくない事が目の前にあるのなら、その分おもしろい状態に今まで自分が有ったことを意識したっていい。

 

相対的にはいま貴方は絶妙におもしろい訳で。

 

行動できる余力があるならそれだけでおもしろい。

 

行動できなくたって、妄想できる余力が有ればそれだけでおもしろい。

 

人生っておもしろいの?

 

実は貴方は既におもしろい状態なんだよ。

 

そのことに気づいていないだけ。

続 VisBugを使って。(日常業務、情報収集時のVisBug活用法)

coliss.com

クロム拡張でVisBugてのが出てきましたね。

…と先日投稿したばかりですが、読みやすくなるけど以後保存されるわけではないし、それほど視認性にカロリーを使うべきか?と自問自答したり。

で、悶々としながら数日。

 

⇒僕なりの使い方が確立したのでシェアしておきます。

 

WebサイトのPDFをつくるときに大活躍!

サイトの有効な情報はPDFで残したいな…。と時節思う反面、記事横にある不要な情報は可能であればPDF内には残したくない。

 

記事の横に表示される広告やキャッチーで目を奪う記事見出し群、アイドルの水着写真やらは保存目的…資料として残す場合にはガチで不要。

最悪の場合はPDF化の際に記事横の画像などが記事部分を隠してしまったり…。

 

そこでVisBugの登場です。

VisBugがあれば記事横の情報を手軽にまるっと削除できます。

バシバシ削れます。

これで

勉強用の資料も

社内活用するための配布資料作成も

すっきり。

いらない情報、広告やサイドバーを削除してからプリントアウトすれば不要な部分のトナー代がケチれますし、話の整理もしやすくなります。

 

はい。

 

なんだか仕事もスッキリですね☆
(※なおエビデンスとしての臨場感が欲しい場合はCSSは手を加えずそのままが良いような気がします)

 

 

VisBugはコレね。

chrome.google.com

アドベントカレンダーってのが流行っている雰囲気。

アドベントカレンダー

ってのが流行っているらしいね。

クリスマスが近づくとカレンダーにお菓子が入ってて毎日物理的にログインボーナスがもらえるってやつ。

ログインボーナスの最後には10連ガチャですよ☆

 

ただ、僕的に毎度耳にするたび

アドベント空間に送り込まれるのかな…。」

と思ってしまうわけで。

(しかも、アドベント空間は味方≒師匠が作ったものだった訳で…)

 

ベンタラの騎士になってゼイビアックスを倒そうぜ!

 

Let’s カメンライド!!!

dic.pixiv.net

いま価値あるものってなんだろう。2018.12.3現在

引越しをする予定があり西新宿ではない西新宿になる可能性が有る。

それはおいておく。

 

僕は職業的にプランナーである。

アニメオタクであり写真もやる。ライフワークとして絵も描く。

良いと思うものを集め保存する癖がある。

良いものを選定し変換。自分の提案として出すことをする。

文化だアートだといっても所詮は模倣である。

絶景の写真。

その瞬間のコピーを残す写真もまた然り。

 

価値ある仕事、価値の有る提案…。

 

引越すにあたり荷物を整理している。

僕の持っているものを移動する。

ただ、今回は結婚してはじめての引越しだ。

奥さまはとにかく捨てるのが大好きで物を持たない。

物を持つことで情報を得ている僕のアガリで暮らしているはずなのだが、その僕のシノギの方法に物申すとな。

とにかく捨てろ。とな。

 

 

価値あるもの?

 

ってことに直面する。

制作マンとしてやってきた20年くらいの制作物もゴミとして捨てている。

ゴミだ。

僕の人生を掛けて体を壊してまで作ったものもゴミになる。

紙の業界はWebに比べて手に取れるものになる。

Webは一過性でそのうち消えてなくなる。

紙はその点、手元に残りよいよな。なんて話をしていたことが過去にあったが

伴侶を得て人として二本の足で立ち上がれるようになった今

 

ゴミである。

 

それでも暗い顔になりながら若い頃に作ったツールや導入事例などのリーフをファイリングしている。もう既に何年も経っているものもある。

既に失われたものも多い。

暗い気持ちで深夜を過ぎ朝になるまでファイリングをする。

多くなってしまうとおそらくその紙片も捨てられてしまうのだなと気づきながらも…だ。

 

言うなれば、

 

高次結晶化した魂の山を崩す賽の河原だ。

 

作らないひとはそれで良いのだろう。

 

さんざん創ってきた僕は自らの首を絞めるようその積み上げた山を崩す。

 

ツールも増えるし取っておきたいから取っておいたし、そのためのスペースを得られるくらいのカネを確保しておいたが、伴侶ができそのスペースはなくなり自分のアイデンティティを崩すことになる。

 

最悪だ。

 

では、価値あるものとはなんだろう?

Amazonやらメルカリ、ヤフオク辺りを覗けばだいたい何でも手に入る。

金額が書いてあるものは価値が付いているもので、表記されていないモノはそこにしかないないもので価値の有るものなのかもしれない。

 

今後、色々なものを買ったり創るにして、何が重要かを考えるいみでもココに記しておこう。

 

  • アイデンティティに関わるもの
  • 心血を注いだもの(コミットしたもの)
  • たまに手にするもの
  • 毎年使うもの
  • 今使ってるもの

 

あたりだろうか。

 

アイデンティティに関わるもの

IDカードでも良いし、戸籍謄本でもいいし、小さな頃大好きだった絵本でもいい。

エロ本でもいいし、カメラでもいいし、レンズでもいい。

自転車のスプロケットでもいいし、化粧品でもいい。

 

心血を注いだもの(コミットしたもの)

ノッてたときに作り上げたなにか。買った何か。それだ。

身を粉にして作ったなにか。

自分の博物館を創ると考えた際に主張したい何かでもよい。

自分にとって関わりが深いもの。

アイドルの写真をとっておくではなく、自分が溺愛したアイドルの写真をとっておく。

自分が大好きだったマグカップをとっておく。

自分が大好きだったロボットアニメの超合金をとっておく。(捨てられたが) 

 

たまに手にするもの

なんとなく大事。その程度で良い。いま自分の中でつかうものは価値の有るものだ。

シゴトでも趣味でもよいソレをつかうもの。

無いならカネを出して買うもの。

再度買うのはコストがかかるし結局買うもの。

それはテンポラリーな価値がある。

中古屋に物を売りに行くと判るが、テンポラリーなものはアンティークと比べて今様な価値が付いており、日に日にその価値は薄れていくものも有る。

テンポラリーなものは今必要なのでノスタルジーアイデンティティと関わりなく必要だから価値がある。

 

毎年使うものたまに使うもの

スキーの靴。ダウンジャケット。シュノーケルセット。水着。ビーサン。長靴。レインコート。傘。マフラー。などなど。

 

今使ってるもの

パソコン。手帳。ボールペン。iPhoneiPad(売った)。Kindle

 

 

思い出シンドロームという呼称のチープさ

捨ててる最中に手が止まるのは「思い出シンドロームだ」なんて横文字使って言ってたけど、思いれの有るものをみて過去回想するのは症候群などではない。

 

人間として当たり前の行動だ。

そして、その物は二度と会えなくなるわけで、思い出に浸って何が悪い。

思い出に浸って何が悪い。シンドロームなんて言ってるやつは頭がどうかしてる。と言って捨てた。

 

作るのに時間を掛けた分、別れにも時間はいる。

葬式を開くのが残された者たちが別れを認識するためだというのは非常によく分かる。

ゴミとして捨てられる前にしたたか、時間を掛けて別れを惜しむことは悪いことではに。非常に人間的なことだろう?

 

 

あと1月と少しで引越しの日を迎えるが、そこまでになんとかしなければならない。

本棚ふたつをカラにして(要は持ってるもの全部捨てるということだ)

伴侶にとっては何の思いいれもないゴミの棚。

僕にとってのアイデンティティの固まり。

どう決着を付けるのか…

 

それはゴミを捨てるだけである。

 

身軽になる。

坂本龍一がレコードを捨てたのににているのだろうか?

 

否。

 

だが、まぁ、僕は他に答えも見つけている。

 

とにかく、

文書は、

手書きのものも含めて

写真を撮っておこうとおもう。

 

無駄なあがき?

 

そうかもしれない。

いまならクラウドに上げることで文書もデータとしてのこるわけで、クラウドは完璧ではないのだけれど、それでも足掻きとして上等じゃないかと思っている。

で、まぁ、ドンドン捨てるわけだ。

クラウドのデータを失うときも来るのかも知れない。

ソレはソレだ。

時間を掛けて過ごしてきたモノたちとのお別れ。

モノを買うことで豊かさを謳歌してきた昭和生まれの漢の彼岸ココに極まれり。

 

価値ってなんだろうな。

 

今必要なもの?毎年使うもの?値段が付いているもの?アイデンティティ? 

 

自分の関わり、関心、コミットが深いものはとっておくと良い。

 

解らない部分は写真に撮って先送りで構わない。

 

そこまで簡単に答えが出るものではないのだろう。

 

涙そうそう。(´;ω;`)

 

 

VisBugを使って記事を見やすく。

coliss.com

クロム拡張でVisBugてのが出てきましたね。

 

いま見てるページのCSSをいじくれるツールのようです。

 

コレで日頃読んでるWebサイトを魔改造できますw

 

はい。

 

上のインク、コリスの記事に使い方は出てるし、読まなくても左サイドに登場するツールバーのアイコンにポインタを乗せると動画で機能を説明してくれるのでそれを見てチョチョイのチョイ。

 

読みにくいあのニュースサイトも広告の多いあのブログも

読みたい記事部分以外をDeleteで消去しちゃいましょうww

 

文字色だって変えられます。

 

 

はい。

 

 

なんだかとってもスッキリしましたね☆

(やってみると本当にスッキリする不思議)

 

コレね。

chrome.google.com

AIが跋扈し「ゆるくローマ化」するまでの間どう凌ぐか?

gigazine.net

この記事を読んだ。

僕が理解したところからすると

 

・AIは「人間しかできない」と思われた部分を機械が実行している部分。⇒AIは専門家以外は「なんか凄そうな近未来的な存在」として不可解で新しくファンタジックなものの総称し認知するために使っている代名詞に過ぎない。(ようだ)

・「機械化学習」「機械学習」は広く認知され、やり方がわかり、方法として一般化した「元AI」。多くの情報を食わせ類似性を抽出しパターン化し結果を導き出す。(教師ありだったり教師なしだったり)そんなもの。

機械学習が知れ渡ったので数年はAIという言葉の利用頻度は減りそう。

 

AIは時代で変わる。

過去においては計算機だし、過去においては人工無脳。現在は機械学習がソレだった。

だが、からくりが理解されるかコモディティ化して身近なものになるとAIではなくなる。(AIとして認知する必要がなくなる。AIの代名詞としての役割が終了する)

ファジーとかスーパーコンピューターとかって言葉も近いかもしれない。(時代が追い越すと代名詞は使われなくなる)

 

近代に目指した理想へ近づく

人は働かなくなる。ベーシックインカムの世界。

元老院が決め、人は観劇と哲学に人生を費やす世界。

割と似ている。

ローマだ。

時を経てローマ時代を再度作ろうとしている。

物言う道具は道具にアップデートして人に優しいローマが誕生する。

 

過去にも有ったね

ルネッサンスってのはローマ化を標榜した一時代だ。

パックス・ロマーナ

ローマの平和を社会的に目指していた。

そんなローマを標榜した時期が過去にもあったのだが、ベーシックインカムの世界は3度めのローマ化を狙った動きかな?と肌で感じている。
(少々、パックス・ロマーナを標榜するような明るさは無いのが問題だが人類の彼岸か?)

過去のパックス・ロマーナイスラム勢力が来てグダグダに成ったが、現状のみんなで揃ってハイテク化してる世の中だと別勢力が出来づらいのでベーシックインカムの世界が広がっていき世界全体がユートピア化するのかも知れない。

よかったよかった。

 

 

…と、いいたいところだが、

私ども30~50代はその「よかったよかった」には参加できないかもしれない。

 

 

ココからが本題だ。

 

世の中はローマに向かうとして…

 

おそらく「また」失われた数十年がやってくるだろう。

 

ロスジェネとか言われてるが、残念なことにまた失われてしまう可能性が。

 

同じジェネならラブジェネが良かったな。(願望) 

 

みんなも知ってるだろ?体制が改革していくのは割と時間が掛かる。

 

パワーシフトは数年ではおこらない。

 

心して凌ごう。

 

感じとしてはローマに向かう前の

 

方舟がウロウロさまよってるって感じの時期かもしれない。

 

間違いとしては、方舟なんてものは今回はない。

 

アレは、結果として、振り返った人間が感じた成功譚だ。
(生存バイアスだね☆)

 

 

 

AIが跋扈する世の中対策

AIというものがどういうものかはわかった。

つまり、人として今まで誇ってきたものが削られていくことだ。

1000桁の計算を瞬殺。

掃除もする。

飛行もする。

洗濯もする。

洗濯物を畳む。

デザイン案もプランBをつくる。

絵だって描く。

文章だって考える。

OCRしてその内容をDBに書き込んでくれる。

AIは来る。

AIは仕事を奪っていく。

で、将来は「よかったよかった」だ。

 

だったら「よかったよかった」になるまでの時間の過ごしかたを考えればいい。

どうするかって?

簡単なことだよ。

AIとは別の部分で生きる。

それでいい。

 

ビッグデータが無いと機械学習ができないならビッグデータがない部分。

たとえば、人類が未体験の世界でもいい。
教師なし学習はベクトルが当初適当でヒットしないようだ)

更には、そこまでカネにならない世界でもいい。
(コミットが少なければボンクラ教師あり学習と少ない予算☆

格好つけて戦車の前に立ちはだかる必要はない。

持てる武器をもって走り回ろう。

 

重要なところは資金が投入され最前線になる。

レッドオーシャンどころの話ではない。

AIが入ることでレッドオーシャンはブラッドオーシャンになるだろう。
(もちろん機械学習以降のAIも含めての話だよ☆)

だから、そこそこの知識で凌げる部分でなんとなくやっていく。

一見テキトーな事を言っていそうだが、相手が人間でない何乗にもパワーが上がっていく対象なので緻密なテキトーさ加減が必要になってくるだろう。

超高速焼畑農業とでもいいましょうか?

勉強し、匂いを嗅ぎ取り自分のスキルセット+学習の伸びしろ+興味が向く方向+友達との交流を指針に進撃し続ける。
(進撃とは言うが、同時に撤退戦、それも猛追を食らう状況でもある。なぜ進撃なんて言うか?カッコイイから。アガるから。悲観ばかりしてたらハゲるだろ。)

あとは…

ローマが来るまで凌ぐ。

 

AIが来たら?

AIは怒涛の勢いで押し寄せるだろう。

その間、どさくさに紛れてAIをコントロールする側、ビッグブラザー側に行ければソレはソレ。管理者さんお仕事頑張ってね☆だ。
管理する側に興味があるならそういう志向で動けばいい。

 

で、

 

AIが来てしまったら…。

 

だ。

 

AIによる攻勢に抗い凌ぐことがしんどくなったら…

 

白旗をあげよう。

 

降参だ。

 

AIがひとの生活をよくする。

ベーシックインカムの世界を目指しているならば意外と安寧かもしれない。

もう、そうなると、フワフワの自堕落な世界だ。

この白旗を上げ損なうと小野田上等兵状態になる。

ある程度の状況は受け入れようじゃないか。

 

 

ローマが来ないことも有る。

ローマが来ないことも有る。

第三次ベビーブームが来なかったように…ね。

謎の第三勢力が現れ世界を混沌に陥れる可能性がある。

経済戦争の勃発?

物理的な大戦が起こる可能性も。

地球外生命体さえ来るかも知れない。

地震が来るかもしれない。

空から植木鉢が落ちてきてランチタイムの後死んでしまうかも知れない。

 

その辺は出たとこ勝負である。

少なくとも、自分のモテる力を持って状況に対処しているので有るから、それ以上はない。勉強をし続ける姿勢が備わっていれば、勉強というか生きる姿勢が備わっていれば、ローマだろうが試される大地であろうが凌ぎきれる。

 

 

その自信は?

その自信はどこから?

コレまでそうしてきたからである。

AIの前は世の中に毎年排出される東大生やら海外の方々とガチバトルだった。

なんとか成ってる。

 

自信は?なんて聞くカロリーがあるなら勉強をしよう。
(この文を読むことも少しは足しになっているのかも知れないし、そういう時間を持つことだ。)